三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと 『週刊朝日』 Part2



同じ年の11月23日、日経新聞に『三洋、主力の携帯売却へ』という記事が出る。

「日経が記事にした中期経営計画の数字は正確でした。しかし、この時点では『携帯売却』は具体的には決まってなかったのです。実は、中計はいくつものバージョンがあって、『○○事業の売却』『○○子会社の閉鎖」などの検討をして、最終的に発表する文書をまとめる。翌24日に発表する中期経営計画の〝シミュレーション〟時点の資料が流出したのは確実でした」(三洋元幹部)

社内で中期経営計画を策定するのは経営企画本部である。前述の通り、そのトップが副社長の楢葉だ。そして本社8階の経営企画本部には、なぜか別のGSの人間が常駐していた。

「多いときには5、6人いました。三井住友や大和の社員も財務などの支援に来ましたが、彼らは全員『出向』なのに、なぜかGSだけは『駐在』でした。つまり、籍を三洋に移さずにセキュリティパスを持って社内を自由に歩き回っていたのです」(三洋幹部)

それから一週間後、今度は『週刊文春』に、「野中ともよ三洋電機会長『赤字五百億円』でもインド視察に夫同伴」(12月7日号)という記事が出る。三洋電機の元幹部が言う。

「文春は、旅行の日程、泊まったホテルの名前や会見相手まで、何から何まで詳細に把握していた。この旅行は、過密なスケジュールの中でインドの首脳と会談を繰り返したので、遊びではない。しかし、恣意的に情報を流す人間が社内にいるのは間違いなかった」(三洋元幹部)

〝スパイ〟は誰か・・。不審に思った三洋幹部が調査すると、驚くべき社内メールが発覚する。本誌が三洋関係者から入手したメールを公開する(写真)。

メールは、11月17日9時28分に三洋のA法務部長からインド駐在のBに「新人紹介」と題されたものだ。前半は管理部門の新人を紹介する内容だが、最後にこう書いてある。

<Bさん:(原文は実名)いただいた野中の旦那の訪印に関わるメールは有益でした。(中略)すでに銀行サイドには情報を流しましたが、前にお願いしたように、見聞きしたことをできるだけ多く記録に残して報告してください。また、銀行からは夫婦で一緒に写っている写真があればいい、というような要望もありましたので、うまく騙して写真を撮って下さい>

三洋電機の広報部によると、その後、A法務部長は「自身の判断で退職」しており、その経緯は言えないという。しかし、このメールは、「金融機関が三洋社内にスパイを作って、意図的な情報リークで経営権の支配を狙っている」ことの決定的な証拠ではないか。

「改革を妨害して決算を悪化させ、野中会長と敏雅社長を追い出すのが目的としか思えません。楢葉は、幹部社員に声をかけて9階の自分の副社長室に誘い、菓子を振る舞いながら『仲良くしましょうよぉ』『飲みに行きましょうよぉ』などと猫なで声で懐柔しようとする。その一方で、経営企画部が1月中に出さなければならない期首計画を3月になっても決めない。事業執行責任者会議で、敏雅社長が『いつ決めるんですか』と叱責すると、『5月。昨年はそうだったでしょう』という。昨年は3000億円の増資があって見直したのです。売上2兆円の国際企業が、4月からの期首計画を5月に決めるなんて馬鹿げたことがありますか」(三洋幹部)

しかし、既に内堀(社内)も外堀(報道)も埋まっていた。2007年4月、野中と敏雅は「経営責任」という汚名を着せられ、追われるように会長、社長の地位を去っていった・・・。

「敏雅社長は、持田社長を飛び越えて、最後までニューヨークのGSと交渉しようとしましたが、果たせなかった。持田はミーティングの席などでも平気で野中さんを『女はいいよなぁ』などと暴言を吐き続けた。敏雅社長は、『持田は刺し違える価値もない』と言って会社を去りました」(三洋幹部)


初出:三洋電機〝崩壊〟の裏で蠢いた金融機関の「権謀術数」『週刊朝日』2009年2月27日号

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