三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと 『週刊朝日』 Part1




2006年初め、港区西麻布にあるフランス料理店「コット」で、米国系投資銀行ゴールドマン・サックス(GS)社長の持田昌典が、客を前にして、独特の甲高い声で喋り続けていた。この店のオーナーは持田で、三井住友銀行社長時代の西川善文などの財界人を接待するサロンとして、知る人ぞ知る存在である。

この日、同席したのは、三洋電機の野中ともよ会長と井植敏雅社長、そして持田の部下で後に三洋の副社長に就任するGSのヴァイス・プレジデントの山崎健太郎だった。三洋の元幹部が語る。

「GSへの優先株発行を発表して、最終的な詰めをしている最中でした。アルコールが入っていたとはいえ、持田さんは、とても女性には言えない下品な表現で野中さんをからかい続けたのです。出資してもらうという立場上、敏雅さんは何も言い返すことが出来ず、テーブルの下で拳を握り締めていたそうです」

後に敏雅は、親しい経営幹部に、「持田を殴ってやろうと思った」と、当時を振り返っている。

この〝侮蔑的〟な宴席から約3年。1947年創業の大阪の老舗電気メーカー三洋電機は、創業家の井植一族が追放され、三井住友銀行、GS、大和証券SMBCが〝支配〟する会社となり、パナソニック(旧松下電器産業)に身売りされることが決まった。

「ジャーナリストの素人CEO」「ファミリーの馴れ合い」・・・。多くのメディアは、三洋の失敗をこのように分析した。しかし、元首脳はこう言う。

「金融機関が仕組んだ罠にハマった。巧妙な情報操作で経営陣が追い出され、あとはシナリオ通りにGSや銀行が儲けただけです・・・」

三洋身売りの影で何が起きていたのか--。

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2006年2月末、前田孝一(三井住友)、楢葉徹雄(GS)、駿田和彦(大和SMBC)の3人の金融機関出向者が三洋の副社長となった。すると、この副社長たちの「意図的なサボタージュで業務が滞り始めた」(三洋元幹部)という。

「前田さんは、前任で三井住友出身の古瀬洋一郎副社長が野中さんと経営方針で対立して辞めた後だけに、副社長室に居座って上から怒鳴りつけるのではなく、現場にも積極的に足を運びました。ところが、楢葉と駿田の二人は、既に進行中の合弁事業などに、『キャッシュはどっちが出すんだ』『本社の場所はどこだ』などと意味不明な難癖をつけ出したのです」

この一つに、台湾の広達電脳との薄型テレビの合弁会社があった。

「楢葉が『3000億円の増資の払い込みが済むまで発表するな』と担当者の岩佐芳郎執行役に命令したのです。この合弁会社は技術供与をするだけで三洋からお金は出さない。しかも、既に前年に発表済みです。楢葉から『(金融三社から)3000億円は入れられない』『これに失敗したら井植(敏雅)さんに責任とってやめてもらいますよ』とまで脅されたのです。敏雅さんはテレビ事業とは全く関係ない。なぜ経営トップの責任に言及するのか」(三洋元幹部)

GSから出向した副社長の楢葉は、経営企画を担当していた。しかし三洋幹部からは、「事業会社の経営が何も分かってない」と、失笑を買っていた。

「月に一回、各部門のトップが集まって朝10時から夕方5時頃まで進捗状況や決算などを報告する事業執行責任者会議があります。社長が議長になって全ての事業部門の責任者が一同に介する重要な会議です。そこで楢葉副社長は、『電機業界の株価はこうなってる』『トレンドはこうだ』とか、まるでアナリストのようなことを言うだけです。彼が打ち出したリストラ案は、『ラグビー部やバドミントン部の経費を削減しましょう』とか、その程度でした」(三洋幹部)

三洋のバドミントン部といえば『オグシオペア』が所属し、ラグビー部の『ワイルドナイツ』はトップリーグで日本一になるなど、会社を代表する『顔』である。一体、楢葉は何をするために三洋電機に来たのだろうか。楢葉は、東大教育学部出身でMITでMBAを取得後、マッキンゼーなどをへてGSに入社。持田の直属の部下だ。GS元幹部が言う。

「楢葉は、持田さんの完全な子飼いです。GSが出資したユニバーサル・スタジオ・ジャパンや、フジタにも、自らすすんで担当になりました。ところが、いずれも経営状態を改善できずに出口が見えない。ディールを動かすバンカーというより、ご意見番のコンサルタントのようなタイプです」

こうして、金融機関出身者と三洋幹部との間に亀裂が生まれる中、奇妙な「事件」が起きた。社運を賭けたプロジェクトの『ノキアとの合弁会社設立』が潰れたのだ。

「ノキアとは敏雅社長とトップ同士が親しく、交渉も順調でした。既にノキアの社員10人ほどが大阪のホテルに常駐して携帯事業のある住道工場(大阪府大東市)に通って、技術情報の流出を防ぐために食堂も分離するなど、具体的な話を進めていたのです」(三洋幹部)

この合弁事業は、三洋がCDMA技術(携帯電話の通信規格)と従業員、敷地などを提供する代わりに、ノキアから1000億円以上のキャッシュを出資させるというものだ。単にノキアにバッテリーを供給するだけでなく、北米や欧州、アジアなどのマーケットを共有し、同時に三洋の財務内容も改善出来るという起死回生の一大事業である。ところが、経営企画本部から横槍が入った。

「実は経営企画会議で全員一致の賛成がないと取締役会に議案を提出できないのです。経営企画の担当は楢葉副社長です。細かい数字に難癖をつけて一向に進まない。次第にノキアが不信感を抱きだした」

2006年2月に記者発表してから4ヵ月後、社長の敏雅と常務執行役の鵜狩武則がノキア本社のあるフィンランドに飛び、関係修復に当たった。

「敏雅社長が先に帰国して、鵜狩常務が残ったのですが、株主総会直前のため、『交渉は一時中断』と決めて、会社に報告せずに帰国したのです。ところが帰国すると、『ノキアとの携帯電話合弁、三洋、計画を撤回』と報道(「日本経済新聞」6月22日夕刊)されていたのです。何者かが『合弁破談』という既成事実を作ろうとしていた」(三洋幹部)

実はノキアとの提携には隠された「シナリオ」があった。

「ノキアからの出資を原資にGSが保有するの優先株だけを買い戻そうとしていたのです。GSはその動きを察知して、先手を打ったのではないか」(三洋元幹部)

しかし、この程度のリークは、金融機関が仕掛ける〝情報戦〟の中では、単なる序章に過ぎなかった。


初出:三洋電機〝崩壊〟の裏で蠢いた金融機関の「権謀術数」『週刊朝日』2009年2月27日号


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