三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと 『週刊朝日』 Part3

三洋が「金融機関支配」になった一昨年春、一人の大物元代議士が、水面下で三洋電機の救済に動いていた。〝塩爺〟こと塩川正十郎元財務大臣である。塩川氏が振り返る。

「三洋の組合OBから、『松下電器と一緒になって、太田工場の職員を守りたい』と言われたのです。三洋の井植(敏)さんとは、僕の息子が養子にいった先と縁戚です。地元ですから三洋とも松下とも下請けから後援会におって親しくしてる。それで森下君(洋一、パナソニック相談役)に相談したんです。『真剣に聞いておきます』ということでした。西川さん(善文、日本郵政社長)にも言うと、『雇用の問題は大事です』という答えでした」

ところが、この提案は三井住友出身の前田副社長に一蹴される。

三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと 『週刊朝日』 Part2



同じ年の11月23日、日経新聞に『三洋、主力の携帯売却へ』という記事が出る。

「日経が記事にした中期経営計画の数字は正確でした。しかし、この時点では『携帯売却』は具体的には決まってなかったのです。実は、中計はいくつものバージョンがあって、『○○事業の売却』『○○子会社の閉鎖」などの検討をして、最終的に発表する文書をまとめる。翌24日に発表する中期経営計画の〝シミュレーション〟時点の資料が流出したのは確実でした」(三洋元幹部)

社内で中期経営計画を策定するのは経営企画本部である。前述の通り、そのトップが副社長の楢葉だ。そして本社8階の経営企画本部には、なぜか別のGSの人間が常駐していた。

「多いときには5、6人いました。三井住友や大和の社員も財務などの支援に来ましたが、彼らは全員『出向』なのに、なぜかGSだけは『駐在』でした。つまり、籍を三洋に移さずにセキュリティパスを持って社内を自由に歩き回っていたのです」(三洋幹部)

三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと 『週刊朝日』 Part1




2006年初め、港区西麻布にあるフランス料理店「コット」で、米国系投資銀行ゴールドマン・サックス(GS)社長の持田昌典が、客を前にして、独特の甲高い声で喋り続けていた。この店のオーナーは持田で、三井住友銀行社長時代の西川善文などの財界人を接待するサロンとして、知る人ぞ知る存在である。

この日、同席したのは、三洋電機の野中ともよ会長と井植敏雅社長、そして持田の部下で後に三洋の副社長に就任するGSのヴァイス・プレジデントの山崎健太郎だった。三洋の元幹部が語る。

「GSへの優先株発行を発表して、最終的な詰めをしている最中でした。アルコールが入っていたとはいえ、持田さんは、とても女性には言えない下品な表現で野中さんをからかい続けたのです。出資してもらうという立場上、敏雅さんは何も言い返すことが出来ず、テーブルの下で拳を握り締めていたそうです」