孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part4

昨年十一月、巽氏は孫社長のもとをたずねて、NJIの経営問題に手を貸して欲しいと頼んだ。しかし孫社長は、「いやいやそれは心配いりません」というだけで、具体的には何もしなかったという。ソフトバンクは、巨額の有利子負債の返済のため、米イー・トレードや米ヤフーの株の売却に動いており、「それどころではなかった」(巽氏)のだろう。

また、同じ時期に巽氏と会った北尾社長はこんなことを言ったという。

「北尾さんは言うてたね、『孫さんはそういうことには全部飛び付く。しかし後は尻切れトンボになる。今も全然そんなの解決したりという気持ちはない』と。『だから巽さん、あなた(大証)がこれを引き取らないと駄目なんです。こんなもんタダじゃないですか。大手の証券会社も欲しいと思ってる。だったら巽さん、この機会にこれを中心に日本の新興市場をまとめて、東証に対抗するぐらいのものを作って下さい。そうしないと我々も浮かばれない』と。僕も、そりゃ正論やなと思いました」(巽氏)

大証と米ナスダックの関係修復を果たせるのは、おそらく巽氏に勝るとも劣らない交渉力を持つ孫社長をのぞいて他にはいなかっただろう。その後、大手証券会社に増資を頼み、佐伯社長を更迭し、NJIのリストラに手をつけても、もはや、今年の契約更新が実現しないのは当然の結末だった。

契約破棄が決定する十日前、孫社長は、巽氏のもとを訪問する予定だった。しかし、その約束も一本の電話でキャンセルされた。その後、八月十六日に、NJIの営業停止について孫社長から報告があっただけである。

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北尾社長は、孫社長の「移り気」な性格について、こう語る。

「孫さんに色んなことを求めることが無理なんです。要するにあれは天才なんだから。天才でもいろんな持ち味があるわけですよ。彼の天才性っていうのはどこにあるかというと、やはり先見性であり、これと決めたところにものすごいエネルギーで全力投球する。そして世の中をあっと言わし、その動き、モメンタム(契機)を一つ作りあげちゃう。そこから彼の関心は次にまた移るんです」

北尾社長と孫社長の二人は、車の両輪のようになって、ソフトバンクグループの拡大戦略を支えてきた。北尾社長は、失敗に終わったナスダック・ジャパンについても、「証券界にの一石を投じたということは、むしろ功績として残る」と、評価している。

しかし孫社長の最大の理解者である北尾社長は、「二年後半にソフトバンクを去る」と、明言するのだ。

「もともとソフトバンクには十年だと決めていました。あと二年半で十年になる。そこで僕はソフトバンクという会社は辞めて、次の新しいことをやろうと。その後は、新しいコンセプトの慈善事業をやろうと考えてます。このあと二年半の間、相場も少しはましになるだろうから、このソフトバンク・ファイナンスグループを、ここまで育て上げましたと、孫さんに大政奉還します」

これまで、孫社長の一気呵成の事業展開を、もっとも近くで見てきた北尾社長は、それが行き過ぎたとき、つねに軌道修正をしてきた。光通信の重田康光社長がソフトバンクの役員から退任するきっかけは、北尾社長の「彼には辞めてもらいたい」という発言に始まっている。また、旧日債銀の買収にも反対し、ナスダック・ジャパンに投資家が集まらず株式の流動性が低いことについても、公然と批判していた。

しかし、二年半後、孫社長の暴走にブレーキをかける人間が消える。

時価総額経営やインターネット財閥という夢のような構想は雲散し、負債を圧縮するために、投資先の株式を次々に売却しているのが、今のソフトバンクの姿である。かつて華々しく手掛けようとした、「衛星放送ビジネス」「スピードネット構想」からは、何の収穫も得られずに終わった。さらに、あおぞら銀行(旧日債銀)までも売却しようとしている時に、ナスダック・ジャパンの撤退が決まったのである。

もはや「投資家・孫正義」という名が綻んだ以上、二度と再び証券市場を舞台にビジネスをすることは不可能だろう。今の孫社長は、ヤフーBBを武器に〝日本最大の独占企業〟NTTと闘うことしか頭にないように見える。孫社長は、「先見性に長けただけの虚業家」から「通信インフラを担う実業家」への脱皮に向けて猛進している。

北尾社長が去る二年半以内に、「実業家・孫正義」の地位を確立しているか否かに、ソフトバンクグループの浮沈がかかっている。しかし、その頃になって、孫社長がまったく別のビジネスに没頭し、「実は、この事業こそ昔からやりたかったんです」と公言しても誰も驚かない。むしろ、そんな姿こそが「孫正義」らしいのかも知れない。


初出:孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』2002年12月2日号