孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part4

今回の「高値買収」が、「新生ボーダフォン」の経営の足かせになることは、間違いないだろう。

PHS事業を展開するウィルコムの八剱洋一郎社長は、一兆二千億円もの銀行融資に言及する。

「最初一年の繋ぎローンの利払いだけで、年間数百億円払わなくてはいけない。二年目以降のLBOローンでは、銀行との契約で、利益指標はこれくらい、キャッシュはこのくらいとか、条件が付く。そうなると、最初の二年間はかなりの赤字で、三年目からV字回復プランも採りにくい」

株式交換をせずに、買収資金をすべて現金で調達したことが災いした。通信会社のYOZANの高取社長もこう言う。

「新生ボーダフォンをドライブするのは名古屋めたっく通信を創業した宮川潤一さん。彼には、先見性や人望、マネジメント能力が備わっている。厳しい資金調達をした中で、夢やロマン、ライフスタイル・カンパニーという構想よりも、孫さんが宮川さんにどれだけの資金をチャージできるかにかかっている」

一兆七千億円もの巨費を投じたにも関わらず、なぜボーダフォンに現金が必要なのか。それは、半年後の十一月に「番号ポータビリティ」の実施が決定しているからだ。

「3G網の整備」「機種の充実」「ブランド力の確立」など、半年以内に矢継ぎ早に新戦略を打ち出し、早急にドコモやauとの差を縮めなければ、千五百万人のユーザーが雪崩れをうって逃げ出してしまう。

中でも〝焦眉の急〟は、「ボーダフォン幹部もビジネスではauを使っている」「汐留のソフトバンク本社の社長室でも通じない」などと言われる貧弱な3G網を、マトモに通話が出来るレベルにまで増強することだ。

しかし、携帯キャリアの首脳は「ボーダフォンには三重苦がある」という。

「ボーダフォンの設備とユーザーの中心は2G(第二世代)です。2Gから3Gに変更してもらうには、携帯端末をタダ同然で配るような販促をしなければらならず、一台で五万円ほどの販促費がかかる。一千万台の2G契約を維持するために五千億円かかる。次に基地局の増設でも数千億円が必要。その上、一兆七千五百億円を返済しなければならない。言わばマイナスからのスタートです」

ユーザーの流出を食い止めるために、基本料金や通話料の値下げをしたらどうなるか。二年前、携帯事業への新規参入を狙った孫自身が、「日本の携帯電話は高すぎる」と新聞に全面広告を出した。ユーザーの多くが、「公約通りに値下げしてくれ」と要求するのは当然である。しかし、徒な値下げはバランスシートを直撃する。買収会見では、「コメントすべき時期ではない」と言葉を濁していたが、三大キャリアに連なった途端、「業界の慣例を守って・・・」などと主張するのだろうか。

値下げが駄目なら、ウィルコムのような「通話し放題」などの定額サービスはどうだろう。しかし、ドコモの中村社長は、こう指摘する。

「我々には、『定額制にして(電波が足りなくなれば)またもらえばいい』という発想はありませんが、孫さんは何をするか分からない。ただし定額制では、トラフィックが五倍から十倍になる。(ボーダフォンの)あのネットワークでは、一瞬でパンクするんじゃないかな。我々が、インターネットフルブラウザを定額にできないのは、周波数がないからですからね」

それでは、孫が得意にしている「ヤフーとのシナジー効果」で、ユーザーが集まるだろうか。これについて、八剱社長は「矛盾があるのでは」という。

「ヤフーは、インターネットのユーザーに広くコンテンツを提供する仕事。ボーダフォンだけに提供するというのはやりにくい。コンシューマー(一般顧客)系を考えて買収されたのでしょうが、私自身も正直わからない」

買収決定から一ヶ月以上たった今でも、新たな料金プランや新サービスの構想はおろか、ブランドネームすら決まっていない。今期中に二千五百億円を投資して、3Gの基地局を一・五倍に増強する計画を発表したが、半年後に否応無く解禁される「番号ポータビリティ」までに間に合うのだろうか。

「一兆円をドブに捨て」てまで手にした携帯キャリアはボロボロの会社だった。しかし、かつてのADSL事業も「孫の無謀なバクチ」と批判されながら、保有株を次々に売却して現金を作り、五百万契約を勝ち取り黒字に転換した。

通信会社のトップたちに、「孫には勝ち残る秘策があるか」と尋ねると、異口同音の答えが返ってくる。

「孫正義なら何とかするかもれない・・・」

この史上最大の買収が成功だったと言われるためには、孫の「神がかり的な経営能力」という不確かなものにすがるしかないのだろうか・・・。


初出:ボーダフォン史上最大の買収劇の舞台裏 孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』2006年5月4/11日号