孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part1

三月十七日、東京汐留のホテル「コンラッド東京」で、ソフトバンク社長の孫正義は、数百人の報道陣とテレビカメラの放列を前して、満面の笑みをたたえていた。

一兆七千五百億円でボーダフォンを買収・・。

日本企業で史上最高額のM&Aを成功させた晴れの舞台で、孫は途方も無い将来像を語り始めた。

「我々は、単なる音声の通信サービスカンパニーではない。決して総合通信会社とは言わないでもらいたい。それは私の志からすると小さい。我々が目指す姿とは、『総合デジタル情報サービス・カンパニー』『二十一世紀のライフスタイルカンパニー』です」

その言葉は、逮捕されたライブドアの堀江貴文や、TBSの経営統合に手こずる楽天の三木谷浩史など歯牙にもかけず、〝仇敵〟のNTTグループをも凌駕することを、高らかに宣言するものだった。

しかし孫の会見を待つ記者たちは苛立っていた。予定していた午後五時から三十分も遅れてスタートし、発表資料はさらに三十分も後になって刷りたてのものが配られる始末だった。

「買収交渉が決裂しかかったのか・・・」

こうした憶測を呼ぶのも無理はなかった。かつて孫は、ナスダック・ジャパン設立の際も、ナスダックと大阪証券取引所の契約が成立しないまま会見時間を決めたり、東京電力との無線インターネットサービスの合弁会社「スピードネット」を発表した時も、東電の荒木浩会長とは一回しか会わずに会見を強行した過去があるからだ。

しかし会見が終わり、ボーダフォン買収の詳細が報道されると、通信会社の幹部たちからは、別の疑念の声があがり始める。

「高額すぎる」「半分の値段で買えたのではないか」「このスキームでは、一兆円をドブに捨てたに等しい・・・・」

ソフトバンクによるボーダフォン買収は成功するのか。巨額買収の舞台裏を辿り、孫の「最後の賭け」の成否を探る。

   ■    ■

世界最大手の携帯電話事業者の英ボーダフォンが、旧国鉄系の日本テレコムとJ-フォンを傘下に治めたのは平成十三年十月だった。翌年には「写メール」を武器に加入者数でauを抜き去って業界二位に躍り出たが、平成十五年に会社名を「ボーダフォン」に変更した頃から迷走し始める。

「英国本社の首脳は、『タダ同然で電話機を配ってコンテンツや通話料で回収する』という、日本の携帯市場を理解できなかった。メーカーへの開発費の援助や、代理店への販促費の支出を渋り、3G(第三世代携帯電話)の設備投資も不十分で、auに先を越されてしまった」(別の携帯会社幹部)

新規契約数が伸び悩むと、慌ててドコモの副社長だった津田志郎を招聘する。ところが、加入者数が純減に転落した途端、半年足らずで津田社長のクビすげ替えて、会長に追いやってしまった。

「津田さんは、有能な技術者で人望もあるので、ドコモの社長になれた人物です。ところが、日本のサラリーマン組織で『社長業』は勤まっても、外資のトップとして陣頭指揮を執るタイプではなかった。英ボーダフォンも、津田さんを生かす能力が無く、お互いが不幸だった。この頃のボーダフォンは、日本で火事が起こっても、『火事ですが、どうしましょうか?』と、英国本社にお伺いを立てるような二重構造の組織になっていた」(津田氏を知る電電公社元幹部)

こうして、昨年四月にビル・モローが社長に就任すると、「ボーダフォンの身売り」は、時間の問題と見られるようなった。

「モローは、日本テレコム社長の時にリップルウッドにテレコムを売却して、イギリス国内のボーダフォン社長に昇進した。通信業界の外国人トップの中では数少ない『アジア的な価値観』を理解できる男で、日本人の友人も多い。しかし、経営悪化の責任は前経営陣であって、モローには無い以上、無理をせずに売却するという決断を下す可能性が高まった」(別の携帯電話会社幹部)


初出:ボーダフォン史上最大の買収劇の舞台裏 孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』2006年5月4/11日号