ソフトバンクモバイルに巻き返しの秘策はあるか『Foresight』Part2

「一昨年五月、ソフトバンクは米系投資ファンドのリップルウッドから日本テレコムを買収した。すると日本テレコムの社員が、ボーダフォンに転職したのです。ソフトバンクの傘下で働くより、同じ外資のボーダフォンの方が勤めやすく、給料も良かった」(元日本テレコム社員)

そのボーダフォンをソフトバンクが買収すると、再び社員の大移動が始まった。

「今度はボーダフォンの社員がウィルコムなど他の通信会社に転職し始めた。比較的給料がよかったボーダフォン社員は、報酬の見直しで給料が下がることを嫌がったのです。毎月、三十~五十人が退職していると聞きます(ソフトバンクモバイル広報は「退職者は二桁前半で許容範囲)と説明)。こんな事態は、東京デジタルホンからジェイフォン、ボーダフォンと会社組織が変わった時にも無かった」(通信会社幹部)

巨額のLBO(相手先企業の資産を担保にした買収)の結果、総額二兆円を超える負債を抱えたソフトバンクモバイルは、「資金が枯渇」していた。孫が満を持して派遣した幹部たちは、現金が足りないまま、戦いを強いられたのだ。

ソフトバンクモバイルに巻き返しの秘策はあるか『Foresight』Part1

「ワンセグ携帯では905SHが三ヶ月連続でナンバーワン機種」
「全ての携帯機器の八月販売実績で705SHが一位。ボーダフォン創業以来、初の快挙です」

九月二十八日、東京・ホテルオークラの「平安の間」に数百人の報道陣を集め、ボーダフォン(十月一日にソフトバンクモバイルに社名変更)の新機種発表会見に臨んだ孫正義は、買収後の「躍進」を、自信に満ちた表情で自賛した。

しかし、孫の言葉とは裏腹に、アナリストは「巨額の有利子負債」や「高額すぎる買収」を酷評し、ソフトバンクの株価は低迷している。モバイル・ナンバー・ポータビリティ(MNP=同じ電話番号で携帯電話会社を替えられる制度)の実施を一ヵ月後に控え、わずか十六%のシェアを打開するため〝起死回生の秘策〟が出てくると思われた。二年前、新聞の全面広告で「いま声をあげなければ、この国の携帯電話料金はずっと高いままかもしれません」と主張していた孫は「〝大人のソフトバンク〟として、ユーザーの意見を聞きながら一歩一歩、詰めていきたい…」と繰り返し、「通話料の値下げ」に明確な回答を避けた。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part4

今回の「高値買収」が、「新生ボーダフォン」の経営の足かせになることは、間違いないだろう。

PHS事業を展開するウィルコムの八剱洋一郎社長は、一兆二千億円もの銀行融資に言及する。

「最初一年の繋ぎローンの利払いだけで、年間数百億円払わなくてはいけない。二年目以降のLBOローンでは、銀行との契約で、利益指標はこれくらい、キャッシュはこのくらいとか、条件が付く。そうなると、最初の二年間はかなりの赤字で、三年目からV字回復プランも採りにくい」

株式交換をせずに、買収資金をすべて現金で調達したことが災いした。通信会社のYOZANの高取社長もこう言う。

「新生ボーダフォンをドライブするのは名古屋めたっく通信を創業した宮川潤一さん。彼には、先見性や人望、マネジメント能力が備わっている。厳しい資金調達をした中で、夢やロマン、ライフスタイル・カンパニーという構想よりも、孫さんが宮川さんにどれだけの資金をチャージできるかにかかっている」

一兆七千億円もの巨費を投じたにも関わらず、なぜボーダフォンに現金が必要なのか。それは、半年後の十一月に「番号ポータビリティ」の実施が決定しているからだ。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part3

なぜ、孫はこのような高値で買収してしまったのか。投資銀行幹部は、「情報戦に負けた」と言う。

「孫さんは、そもそも七千五百億円と負債二千五百円の合計、一兆円ほどで買収できると考えていたでしょう。これは交渉をスタートさせる金額としては妥当です。時間をかければボーダフォンが焦り出すのは分かっていたはず。ところが、ボーダに先手を打たれて『買収交渉中』という情報をリークされた」

三月四日未明。ロイター通信が、「ソフトバンクがボーダフォン日本法人買収交渉」と報じると、孫は他の買収者の出現を焦り始めた。それを見透かしたように、英フィナンシャル・タイムズ紙が「投資ファンドのKKRとサーベラスが買収に名乗りを上げる」と報じる。

そして、最後の追い討ちをかけたのが、ロイター通信がニューヨーク発で報じた「サーベラスが全額現金で百五十億ドル(一兆八千億円)での買収提案予定」という日本時間三月十六日のニュースである。この翌日、「一兆七千五百億円」で交渉が成立し、記者会見に臨むことになった。

服部氏は、「ボーダフォンのリークによるブラフではないか」と見る。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part2

この頃から、ソフトバンクや携帯電話事業に新規参入を予定しているイーアクセス、さらにドコモやauにも、外資系投資銀行のバンカーが、「俺ならモローに渡りを付けられる」などと、不確かな買収構想を持ちかけ始め、〝ゴールドマン・サックス(GS)がデューディリジェンス(資産査定)に入った〟〝リップルウッドが総務省に圧力をかけた〟といった噂話が飛び交った。

しかし、ボーダフォンの交渉窓口は一人のバンカーが握っていた。その男は、UBS証券東京支店の投資銀行本部のマネージング・ディレクター、スティーブン・トーマスという日本人の妻を持つ英国人バンカーである。

「トーマスは、日本語が堪能で、ボーダフォンの経営陣とは極めて密接な関係を築いていた。鈴鹿のF1グランプリでは、ボーダフォンがスポンサーをしているフェラーリの応援で貴賓席に陣取っていたほど。UBSは、Jフォンの買収、日本テレコムの売却でもボーダフォンのアドバイザーをしている。ボーダの売却が、〝UBSのトーマス〟のディールになるのは既定路線だった」(外資系投資銀行の幹部)

一方のソフトバンク側には、ゴールドマン・サックスがアドバイザーに就くことが確実視されていた。GS日本法人の社長で、投資銀行部門のヘッドでもある持田昌典は、日債銀の買収、ダイエーホークス買収などを手掛けている。さらに持田は、孫の長女を部下のアナリストとして雇っているほどだ。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part1

三月十七日、東京汐留のホテル「コンラッド東京」で、ソフトバンク社長の孫正義は、数百人の報道陣とテレビカメラの放列を前して、満面の笑みをたたえていた。

一兆七千五百億円でボーダフォンを買収・・。

日本企業で史上最高額のM&Aを成功させた晴れの舞台で、孫は途方も無い将来像を語り始めた。

「我々は、単なる音声の通信サービスカンパニーではない。決して総合通信会社とは言わないでもらいたい。それは私の志からすると小さい。我々が目指す姿とは、『総合デジタル情報サービス・カンパニー』『二十一世紀のライフスタイルカンパニー』です」

その言葉は、逮捕されたライブドアの堀江貴文や、TBSの経営統合に手こずる楽天の三木谷浩史など歯牙にもかけず、〝仇敵〟のNTTグループをも凌駕することを、高らかに宣言するものだった。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part4

昨年十一月、巽氏は孫社長のもとをたずねて、NJIの経営問題に手を貸して欲しいと頼んだ。しかし孫社長は、「いやいやそれは心配いりません」というだけで、具体的には何もしなかったという。ソフトバンクは、巨額の有利子負債の返済のため、米イー・トレードや米ヤフーの株の売却に動いており、「それどころではなかった」(巽氏)のだろう。

また、同じ時期に巽氏と会った北尾社長はこんなことを言ったという。

「北尾さんは言うてたね、『孫さんはそういうことには全部飛び付く。しかし後は尻切れトンボになる。今も全然そんなの解決したりという気持ちはない』と。『だから巽さん、あなた(大証)がこれを引き取らないと駄目なんです。こんなもんタダじゃないですか。大手の証券会社も欲しいと思ってる。だったら巽さん、この機会にこれを中心に日本の新興市場をまとめて、東証に対抗するぐらいのものを作って下さい。そうしないと我々も浮かばれない』と。僕も、そりゃ正論やなと思いました」(巽氏)

大証と米ナスダックの関係修復を果たせるのは、おそらく巽氏に勝るとも劣らない交渉力を持つ孫社長をのぞいて他にはいなかっただろう。その後、大手証券会社に増資を頼み、佐伯社長を更迭し、NJIのリストラに手をつけても、もはや、今年の契約更新が実現しないのは当然の結末だった。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part3

ナスダック・ジャパンの開設を間近に控えた頃、マスコミ各社や証券会社に怪文書や怪メールが迷い込みはじめる。その内容は、NJIの社長、佐伯達之氏の行動を批判するものだった。

「ソフトバンクから十億円の支度金をもらった」「渋谷の高級マンションを買ってもらった」という真偽不明なものに始まり、ゴルフ接待や遊興費ばかりに経費を使っているという、内部関係者でしか知り得ないものまで含まれていた。佐伯氏は、日本IBM時代から無類のゴルフ好きであり、また金に糸目をつけない接待営業マンだったことは、業界では広く知られていた。そして、証券業界について、まったくの素人であったことも、周囲からの不協和音を生じさせる原因になったのだろう。

特に喧伝されたのが、巽氏との「不仲説」である。巽氏は「仲が悪い」という事実は否定するものの、佐伯氏の非常識な行動に不信感を抱いていた事実は隠そうとしない。

「佐伯君に、一月四日(二〇〇〇年)の大発会で、みんなに紹介してやると言ったんです。当日、大証の建物の下に朝八時に行ったら佐伯君が来てないんやけど土屋君(=陽一、元三洋証券社長)が来とんのやね。土屋君が何でこないとこへ来とんやと僕は思うたら、土屋君をナスダックへ入れるっちゅうんですな。で、私の会社に佐伯君と二人で来ましたわ。そこで私は、『おい、ちょっと待て。土屋君、キミ、どんな常識してんねや。業界の寄託証券保証基金、四〇〇億円もババかけた。絶対駄目だすぐクビにせえ』と言った。そうしたら『北村さんがOKした』っちゅうわけです。そんなおかしな話はないと、『俺は駄目だ。(エレベーターで)下に降りるまでにクビ切っとけ』と、目の前で言うたんですよ」(巽氏)

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part2

「三月十三日にモスクワからや言うて、孫さんから電話があったんです。三月十五日に二時から三時までの間にナスダック協会を作ると。それで、『一時から二時まで二人で話し合えないか』と。(その場で)ノーならやめようと。『イエスかノーかだ』という話なんですよ。孫さんは、『北村さんに言わないでくれ』ということでしたが、僕は北村君に話したんです」(巽氏)

当時、大証の理事長は大蔵省出身の北村恭二氏だった。しかし、国際証券業協会を通じて海外の証券業界とも人脈のある巽氏が、交渉の席に必ず同席してきた。孫社長は、理事長である北村氏を飛び越えて、「実力者」の巽氏との直接交渉で問題を打開しようと図ったのだ。

その後、帰国した孫社長から、巽氏のもとに再び電話が入る。

「北村さんに言ったんですか。言ってもらわない方が良かったですけど・・」

こう苦言を呈する孫社長を、巽氏は、たしなめた。

「いやいや、それは言わないかん。彼がサイン権者やから。彼をそこへ出してもらわんことには立場がない。皆が出た方がええ。僕も前向きに対処するがな」

すると、孫社長は最後通牒ともとれる提案で切り返した。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part1

「昔から通信がやりたかった」

ナスダック・ジャパンの日本撤退が決まった直後、新聞に孫正義社長のこんな発言が掲載された。

しかし、何人の財界人や投資家が、この発言を額面通りに受け止めるだろう。孫社長ほど、中核に据える事業を転々とさせる経営者はいない。その多くが、巨大な規制の壁を打ち壊し、既存の大企業の存在を脅かした途端、スッと熱が冷めたように興味を失い、新たに次の「敵」を見出して、そこに経営資源を集中する。たぐい稀なるベンチャー精神の持ち主という見方もできる。しかし、打ち捨てられた業界は、巨大な台風に荒らされた後の都市のような、無残な惨状に喘ぐことなりかねない。

二年前、鳴り物入りで上陸した「ナスダック・ジャパン」(NJ)の撤退は、私企業の提唱で市場を作り、「儲からない」という理由だけで看板を外したことで、「株式市場を軽くあしらった」と、多くの市場参加者から非難を浴びた。大阪証券取引所の巽悟朗理事長と、孫社長の「右腕」であるソフトバンク・ファイナンスの北尾吉孝CEOの話を中心に、上陸から撤退までの内情を浮き彫りにする。