孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part4

ソフトバンク、東京電力、マイクロソフトの三社が手を組んで乗り出した無線インターネット接続サービスの「スピードネット」は、「ベンチャーと重厚長大産業が手を結んだ」と、ネットバブル真っ只中に大々的に発表された。

孫社長は、小中学校に十年間の無料サービスを提供すると言い、「東電のファイバー網を使うのだから、高額の回線使用料を払わなくて済む・・・もちろん、我々は慈善事業者ではない。ユーザーのすそ野の拡大が狙いだ。偽善ではなく、二、三十年先をみて、最も重要な見込み客に“試食品”を提供するようなものだ」(九九年八月十四日、日本経済新聞)と、将来構想を語っていた。

しかし、事業パートナーである東京電力の荒木浩会長自身、実は孫社長と顔を合わせたのは記者会見で同席した時が二度目だった。つまり両社のトップは発表までたった一回しか会っていなかったという。荒木会長は、この会見を「拙速だった」と回想する。

「もともと我々も、電柱を生かしたインターネットビジネスが出来ないかと模索していたのです。そこへ孫さんが、『電柱を貸してくれませんか』と飛び込んで来たのです。とにかく当時は、錬金術の人物として名前が売れていたし、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。我々にはハード面の経営資源がある。孫さんからはソフトの成型支援があるのだろうと、私は考えたんです。それで思惑がマッチしたわけですが、彼はスピードネットを政府のIT戦略会議でブチ上げたかったんですな。それで記者会見を急いんです」

孫社長が描いたスピードネット構想は、絵に描いた餅も同然だった。技術的な裏付けが無かったため、発表後に無線技術を持つベンチャー企業にノコノコと声をかけるありさま。孫社長のスカウトに応じて、三井物産情報産業本部メディア事業部長から社長に就任した真藤豊氏(真藤恒元NTT会長の三男)は、わずか八カ月で退任。そして、昨年三月の第三者割り当て増資では、ソフトバンクは増資に応じず、今では東京電力が約八割の株主となって事業を引き継いでいる。

孫社長が力強く語った「二十年、三十年先」の将来構想とは何だったのか。孫社長に三行半をつきつけられた格好の荒木会長は、こう評価する。

「おそらく彼の頭の中には、次の路線であるADSLを考えて、スピードネットに興味を失ったんじゃないですか。その後、インパク(インターネット博覧会)の会合で会いましたが、相変わらず威勢のいいことを言っておられました。『いいプロジェクトには報奨金を出しましょう』とか、とても我々の物差しとは違うお金を言ってましたね。(経営者としては)正直に言うとよく分からない。ある意味でスピード感のある人だと思います。我々のような一つ一つ階段を上っていくという経営感覚とは違う。まあ孫さんのような異文化に接したのは、我々のプラスにはなったと思いますよ」

スピードネット構想で孫社長がやったことといえば、「東京電力を口説き落とした」「派手に記者会見でブチ上げた」という二つだけだ。これは経営でもなければ投資とも言えない。スピードネットを切り捨てたとき、すでにネットバブルは崩壊していた。この時の孫社長は、「ネットベンチャー投資」にかわる、新しい賢者の石を求めて彷徨いはじめていたのかも知れない。

売却が時間の問題といわれる「あおぞら銀行」でも孫社長は、すでに〝心ここにあらず〟という状態である。

あおぞら銀行で、毎月一回開かれる取締役会に出席した孫社長は、寡黙で口数が少なく、ややもすると存在すら不確かな役員になっている。役員会に来た途端、無駄話もせずに早ばやと席をたつこともあるという。もちろん、買収当初は鼻息が荒かった。

「僕は、日本の銀行の反対をやりたい。相手の信用に応じて金利を決めるようにし、高い金利を取ることもある。融資するかどうかは即断する」

こう力説し、役員会でも、積極的に経営方針を打ち出そうとした。しかし、金融のイロハも知らない素人発言を連発して、周囲の失笑をかうことも少なくなかったという。ある日の役員会で孫社長は、

「あおぞら銀行として生まれ変わったんだから、融資先を選別したほうがいい。もっといい企業に、例えばトヨタみたいな優良企業に貸したらどうだ」

と発言。これを聞いた他の出席者からは、「いや、トヨタのような超優良企業はウチから借りてくれませんよ」と説明する。これを引き受けて孫社長は、

「ではリスクのあるところでも、金利を上乗せすれば業績があがるだろ」

と言う。この発言を聞いて、呆れたオリックスの宮内義彦社長が、「そんなことが出来るなら、うち(オリックス)で貸してますよ」と、一蹴したという。

それでも懲りずに孫社長は、「あおぞら銀行の『平均貸付金利』はいくらだ?」と事務方に聞く。貸し付け金利は融資先企業の信用度によって変わるので「平均値」などナンセンスな話だ。呆気にとられて沈黙が続くと、「なぜ答えられないんだ」と色めき立つという一幕があった。

さらに破綻懸念先に約十五パーセントの金利で貸していることを知ると、「それなら、一五パーセントにプラスアルファして貸せばいい」と言いだす。他の役員が、「金利を払わないから破綻懸念先になっているので、そこに何百パーセントの金利をつけても意味が無いですよ」と諌める。万事がこの調子で、次第に無口な筆頭株主になったという。

役員会で茶番劇を演じているうちに、ソフトバンクの株価は二千円前後にまで下がってしまった。米大手の格付機関「ムーディーズ・インベスターズ・サービス」は、ソフトバンクの長期債の格付を「Ba3」(投機的な要素を含む)から「B1」(投資対象としての適正さに欠ける)へと格下げし、もはや株式市場や社債での資金調達は絶望的である。一方で約四千九百億円という途方も無い連結有利子負債を抱えており、借金穴埋めと赤字を減らさなければならない。どうあがいても賢者の石にはならない以上、時価一千億円といわれるあおぞら銀行を銀行を売り払うことに何の躊躇もないだろう。

そして、孫社長がようやく辿りついた「ネットベンチャー投資」にかわる新しい賢者の石が、「ブロードバンドビジネス」だった。


初出:孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』2002年6月号