孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part1

昨年、大ヒットした冒険ファンタジー映画『ハリー・ポッターと賢者の石』に、〝賢者の石〟の力で不老不死の魂を得たニコラス・フラメルという魔術師が登場する。実は、このフラメルは十四世紀のフランスに実在した錬金術師で、彼がつくった賢者の石を使うと水銀を金に変えることができたという。十五世紀のヨーロッパでは、賢者の石を作ろうと様々な実験をした結果、物質の融解、蒸発の仕組みが解明され、フラメルの名は中世ヨーロッパの化学史を語る上で欠かせない存在になった。

ソフトバンクの孫正義社長は、この伝説の錬金術師とどこか似ている。

孫社長は「インターネット」という〝賢者の石〟を振りかざし、単なる紙切れに過ぎないベンチャー企業の株券を、魔法のように「金」に変えると熱弁を振るった。ネットバブルが華やかだった二年前は、誰もがこの夢のような錬金術に熱狂し、景気回復の糸口が見えない日本政府は、孫社長をIT戦略会議のメンバーにまで迎え入れ、証券会社のアナリストたちは、ソフトバンクをはじめとしたネット企業を「買い」推奨銘柄にして株価の高騰を煽った。

孫社長が、ネットバブルという錬金術の頂点に君臨したのは、二〇〇〇年二月二日、六本木のディスコ「ヴェルファーレ」で開催されたベンチャー企業の交流会だった。渋谷に生まれた「ビットバレー」というネットベンチャー企業の若手経営者たちが集結したイベントは、さながら孫正義という「教祖」を崇める宗教儀式を思わせた。

「今思い出しても、ビットバレーの人間にとって、あの瞬間が最高潮でした。インターネットで何か一儲けしてやろうという若い経営者たち。その経営者と親しくなりたい追っかけの女の子、そして投資をもくろむベンチャー・キャピタリストが群がって熱気に溢れていたのです。遅れて駆けつけた孫社長が壇上にあがり、『みんなで日本を変えましょう』とスピーチすると、参加者は怒涛のような拍手と歓声をあげたのです」(イベントに参加したベンチャー経営者)

イベントの前日には、米リーマン・ブラザーズと仏パリバという世界に冠たる金融グループが旧日本債券信用銀行の買収から手を引いたことが明らかになり、四兆円を超す公的資金で救済された銀行までが孫社長の手に転がり込むことが確実なっていた。ソフトバンクの株価は急上昇を続け、二月十五日には、十九万八千円の最高値を記録した。

日本中が、孫社長こそが「賢者の石」を持つ経営者で、日本経済を救う救世主だと信じて疑わなかった。

しかし、このイベントからわずか一ヵ月後、ネット企業の株価は急降下する。強引なセールスと無理な事業計画を批判された光通信の重田社長はソフトバンクの非常勤取締役を追われ、新興市場のマザーズにいち早く上場したリキッドオーディオ・ジャパンの社長は監禁罪で逮捕された。そして、ネットバブルの崩壊から二年が経過した今、賢者の石を持っていたはずの孫社長自身が、保有資産を次々と手放し始めている。

米ヤフー、米イー・トレード、米ユーティースターコムといったIT系はもちろん、メディア王・ルパート・マードック氏と手掛けて孫社長を一気にスターダムに押し上げたスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(当時はJスカイB)も売ってしまった。さらに、勝利の象徴だったあおぞら銀行(旧日債銀)までが売却対象になっている。

孫正義という経営者は、賢者の石を持つ真実の錬金術師なのか。それとも金メッキを施しただけの詐欺師だったのか。彼が手掛け、そして投げ出してしまった事業を通して、あらためて、「孫正義」を問い直してみたい。


初出:孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』2002年6月号