「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』Part2

十月二十七日、前代未聞の暗闘を繰り広げた「金融庁vsUFJ」の対決は、検査結果の最終報告をもって終了した。翌日、UFJ銀行は、他行から一ヶ月遅れの九月決算の上方修正を発表して、「秋の陣」は幕を下ろした。しかし金融庁内部には、ここで幕引きをしたくない勢力がいた・・・。

実は、昨年秋の両者の対立について、その詳しい内容は隠されていた。隠すというより、そもそも検査の内容が外部に漏れることなど、あり得ない。ところが、一月二十四日の日経スクープ以降、検査の日程などを記した二枚の「メモ」が出回り始める。

メモによると、十月九日に実地調査部隊が「隠蔽されていた資料」の場所を特定したのは、UFJ内部からの告発が発端だという。さらに、「D社についてのうわさ」などの一文を添えて、ことさらにダイエーの存在を匂わせたり、「検査を免れるため、組織的、意図的に資料の隠匿、改ざん等を行ったことが強く疑われる」「銀行法における検査忌避に該当するか否か」「組織性(特に役員の関与)の有無」と、それらしい文言が盛り込まれている。もっとも、この文書にはUFJがどんな資料を「隠蔽」していたのかは、記されていない。まして、作成者不明の箇条書きでしかなく、冷静に見れば単なる怪文書である。

しかし、メモには、当事者しか知りえない情報が記述されている。UFJが弁護士と会計士の同席を求めたことや、その日付などは事実と一致する。この文書が金融庁周辺から出たメモとすれば、「この問題は終わってない」という、金融当局の意思表示と読み取ることも出来る。

銀行法六十三条には、「金融検査において銀行の業務又は財産の状況に関する虚偽の報告もしくは資料の提出をした者は、法人は二億円以下の罰金、個人は一年以下の懲役刑か三百万円以下の罰金」と定められている。九九年には、組織的な検査忌避をしたとして、クレディ・スイス東京支店の銀行免許が取り消され、支店長が逮捕された。金融庁が、UFJによる組織的な検査忌避を疑っているのなら、事態は深刻である。

そのうえ、金融庁はUFJによる検査忌避疑惑をまったく否定しないのだ。

日経スクープを後追いした他紙は、金融庁幹部の「ノーコメント」を「検査忌避の疑いがある」と解釈した。高木祥吉・金融庁長官も、竹中大臣も、記者会見や国会答弁で、「個別の金融機関についてコメントはしない」という姿勢である。しかし、昨年十二月に「佐賀銀行の倒産」というデマメールで預金解約者が殺到した事件では、竹中大臣は「悪質な電子メール記載のような事実は全くないこと、経営内容、健全性、資金繰りはいずれも問題ない」と、言下に否定コメントを発表している。UFJの株価が急落して信用不安が発生しているにも関わらず、大臣がコメントを控えれば、逆に「二枚のメモの内容は事実である」と理解するほうが筋が通ってくる。

さらに金融庁幹部は、新聞記者へのオフレコ取材では、UFJ銀行や担当者を名指しで批判しているという。そのターゲットは、目黒検査官と対立した早川常務執行役員である。

「金融庁幹部は、早川氏を『けしからん奴だ』と悪し様に言います。しかし、これは早川氏に検査忌避の疑いがあるというレベルではなく、むしろ『早川はタフな交渉相手でやりにくい』という意味だと思います」(前出・全国紙の金融担当デスク)

実は、早川常務と金融庁とは、旧三和銀行、旧大蔵省時代からの深い因縁がある。早川氏は、三和銀行時代には「やり手のMOF(大蔵省)担」として知られる。ところが、九八年の「大蔵省接待スキャンダル」の捜査で、最初に検察の捜査で〝オチ〟てしまい、事実関係を洗いざらい話してしまったのが、早川氏だと旧大蔵省関係者の間では信じられている。現在の佐藤隆文検査局長は、接待汚職当時は大蔵省銀行局総務課長で、批判の矢面に立たされていた。UFJに対する厳しい検査の背景に、「江戸の敵を長崎で討つ」という発想があるとしたら、逆恨みも甚だしいだろう。

一方、UFJ側も金融庁の検査官の神経を逆撫でするような行為を繰り返してきた。中間報告で弁護士、会計士を同席させるのは、喧嘩腰ととられても仕方がない。他のメガバンクの審査担当者は、こう証言する。

「金融庁の検査で、何もかも最初からさらけ出す必要はありません。検査といっても銀行の死活問題を決する交渉ですし、検査官より銀行のほうが情報や知識では優る。しかし、必要最低限の資料を提供しても、検査官のプライドを傷つけないようにするのは、権力者を相手にした交渉の鉄則です。検査官の中には、週刊誌や経済誌の記事をコピーしてきて、『この記事に書いてある融資の資料を出せ』とか妙なことを言い出す人もいます。しかし、『泣く子と地頭には勝てぬ』で、そこで腹を立てても意味が無い。UFJが正論を主張して検査官の感情を害したのは、お粗末な対応としか言いようがありません」

メモの流出の背景に、両者の感情的な対立があったのは間違いない。


初出:「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』2004年4月号


「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』Part1
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