巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part4

そしてみずほが抱える問題は「人材」に止まらず、「不良債権処理」も禍根となっている。

みずほは、にわかに「事業戦略の変革」と題して、「シンジケーションビジネス」「ソリューションビジネス」などといった文言を並べている。しかし、いずれもネットバブル当時に、ベンチャー企業が掲げていたスローガンに似て、具体的にどんな事業で黒字化するのか、どのように金儲けをして「動脈」を支えていくのか「ビジョン」が見えない。

九月中間期のメガバンク四行の実質業務純益を見ると、前年同期比でプラスとなったのは東京三菱だけ。みずほは三千八百七十八億円で、前年同期比でマイナス二八・七パーセントとメガバンク中で最低の水準だ。合併で経費が嵩んだとはいえ、現時点で合併効果は見えてこない。リスクアセットを半期で十三兆円も圧縮したが、早急に利鞘稼ぎに代わる収益の柱を確立しない限り、何度リストラを繰り返しても、不良債権処理コストが利益を食い潰す悪循環を断ち切ることは不可能だろう。

こうした認識は、経営トップだけではなく、四十代以上の幹部行員も同様だ。BKの支店幹部が現場の惨状を語る。

「とにかく金融庁の通常検査が厳しすぎて身動きがとれない。例えば、中小企業への融資でも、充分な担保をとって、一度の延滞も無いにも関わらず、返済期間が長すぎるだけで『破綻懸念に区分けしろ』といってくる。担保不動産を売却すれば地価が下がって不良債権が増える悪循環です。金融庁がこんな調子で締めつけたら、景気が上向くはずがない」

金融庁の検査官が銀行に常駐し、支店レベルの融資案件について細かい「指導」をしているのは事実である。現在のみずほは、二千二百億円という巨額の赤字を出して無配に転落したことからも分かるとおり、「不良債権の最終処理」に追われている。こうした不良債権の中には、かつて、「絶対に潰せない」と言われた「親密企業」も含まれている。大手証券の株式部長が指摘する。

「今年三月末を目処に、いわゆる『飛ばし不良債権』の処分は済んだものだと思ってました。しかし、旧一勧と密接な繋がりを持っていた小野グループに塩漬けにしていた会社、ニッセキハウス工業と寿工業を十月末に相次いで倒産したことで、また新たな『膿』が出てくるのではないかと心配してしまいる」

小野グループは、アルミの鋳造を手掛ける福井県の中堅メーカーだったが、バブル崩壊後の九二年から、突然「投資家」として変貌を遂げる。イトマン事件の許永中被告が買い占めた「総武カントリー倶楽部」に始まり、やはり買い占めにあった「寿工業」、社長が失踪して屋久島で死体で発見された「ニッセキハウス工業」、長崎屋系のコンビニチェーン「サンクス」、「ローヤル電機」といった企業を、いずれも旧一勧の仲介によって買収し続けていた。

小野グループには、旧一勧の専務だった千村恒人氏を筆頭に、多くの旧一勧OBたちが「天下り」している。つまり、旧一勧と密接な関係を築きながら、「不良企業のゴミ捨て場」のような役割を担ってきた。「サンクス」だけは、サークルKへ売って二百億円以上の売却益を得たが、「当初の売却価格が安すぎた」という見方をされている。それゆえ、ニッセキハウスと寿工業の法的処理に踏み切ったことで、「一勧が方針転換をした」と見られているのだ。みずほにとって、こうした会社は〝時限爆弾〟のようにも見える。

さらに「興銀のブラックボックス」と言われているのが、「興和不動産」である。昨年から今年にかけて債権放棄を含めて実に四千億円近い金融支援を実施しており、表面上は一息ついている格好だ。しかし、みずほ内部からはこんな声があがっている。

「興銀は、他の都銀より遅れて不動産投資に参入したために、ノンバンクや住専を通じた融資の焦げ付き額が非常に大きい。こうした不良債権の最終的な行き場が興和不動産でした。おまけに、OBの天下り先にもなっている。絶対に空けられないパンドラの匣です。今さら法的整理などは不可能でしょう」

こうした「ゴミ箱」のような企業の最終処理をトップが決断しない限り、みずほは不良債権問題と決別はできない。

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かつて「銀行の頭取」といえば、興銀の中山素平氏を筆頭に、高度経済成長を支える経済界の重鎮だった。しかし、その後を襲った頭取たちは、後継者になることが出来ず、いずれもバブルに溺れ、その地位を譲った。後継者になれなかった頭取が、有能な後継者を作れるはずがない。今の銀行トップは、その世代である。彼らは、バブル時代の経営者たちが巨額の退職金を手にして、優雅に暮らしている姿を目の当たりにしている。おそらく彼らには「自分がバブルを作ったわけではない」「このまま定年を迎えて退職金を貰いたい」という思いがあり、被害者意識が強いのだろう。

しかし、メガバンクはいまさら後戻りはできない。

みずほの「変革プログラム」には、『五十店舗で三十代の支店長を実現する』とある。これはみずほ首脳陣の数少ない英断である。定年までの時間を指折り数えるような年代より、バブルすら経験していない若い世代のほうがはるかに「危機意識」が強いからだ。中堅行員たちからは、大規模なリストラ策にも不満の声があがる。

「リストラ策は、株価が『百円割れ』してから数日のうちにバタバタと決まったようです。もちろん、幹部行員の給料が高いというなら、基本給の減額も甘んじて受ける。しかし、融資先企業が赤字決算、無配、賃金カットの三点セットになったら、銀行は『社長の退任』を勧告します。なぜウチは経営トップが責任をとらないのか。これでは株主や取引先に説明のしようがありません」

現在のみずほグループという「動脈」には、無用な老廃物が溜まり、日に日に血液の流れが悪くなっている。このまま放置すれば、「瑞穂国」の息の根を止めかねないのだ。


初出:巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』2003年1月号


巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part1
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巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part4


追記:本稿の『文藝春秋』の記事には筆者の肩書きが「経済ジャーナリスト」となっている。しかし、私は単に「ジャーナリスト」と自称している。なんらの許可もなく肩書きを改竄・改変したのは当時デスクだった鈴木洋嗣という男である。発売後に「勝手に肩書きを変えるな」と文句を言うと、「いいじゃねぇか」と返答があった。その後の記事でも一方的に「経済ジャーナリスト」にされそうになって抗議をしたことがある。2009年春から、鈴木は『文藝春秋』の編集長となった。今の『文藝春秋』に記事を書いたり取材を受ける際は、改竄・改変などのモラルの低い行為に最大限の注意が必要である。