巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part2

この前田社長のもとで、グループ全体で三万人にもなる従業員たちは、「カルチャー障害」に悩まされることになる。

「ろくに支店で営業もできない興銀出身者が、なぜか優遇されてる。差別的な措置が三行の融合を阻んでいる」

一勧、富士出身者に話を聞くと、決まってこうした意見が出る。彼らが指摘する「差別的な優遇措置」とは、旧興銀マンだけに支払われている「調整手当」制度のことだ。

四月一日の統合で、持ち株会社のHD傘下に、みずほコーポレート銀行(CB)、みずほ銀行(BK)、みずほ証券、みずほ信託銀行を収めるという作業(組織統合)は形の上では完了した。ところが、行員の基本給は同レベルに統一されたものの、興銀出身者だけは、給与を嵩上げしたのだ。旧富士の行員が言う。

「うちは、すでにボーナスを減額されてたし、四十代でも年収が一千万円に届かない行員もいる。完璧とは言えませんが『能力給』に移行していたのです。ところが、興銀だけは給料が高止まりしていた。五十歳以上で比べると、興銀と富士、一勧の間では数百万円の給与格差があったのです。合併した以上、給与体系も統一するのは当たり前でしょう。ところが、五年間の移行期間を作るという。人事担当者は、『興銀出身者の給料を減らすとマンションのローンが払えなくなる』などと言っていました。融資先にリストラをお願いする立場で、おまけに公的資金まで入ってる銀行の言い分として通りません。ローンが払えなければ引っ越せばいいのです」

なぜ、このような制度が導入されたのか。理由の一つは、人材流出の防止だという。当初、「興銀の給与は都銀並に減額される」という案が有力だった。すると、若手を中心に興銀マンが、次々と外資系の投資銀行などに数倍の年収を提示されて引き抜かれてしまった。

若手興銀マンの私的なOB会が把握している数字では、九九年から興銀を自主退職した人数は二百七十二人にもなる。年別で見ると、九一年入行組が二十八人で最も退職者が多い。以下、八九年組が二十三人、八四年組と九〇年組が二十二人づつ、八八年組が二十人となっている。次代を背負うべき三十代の行員が、みずほに見切りをつけ、「人材の空洞化」が進んでいることが分かる。

もっとも、旧興銀出身の現役のみずほ行員は、「人材流出の防止だけが『調整手当』の理由ではない」と言う。

「そもそも若手の給与格差は小さかったのです。幹部たちは、『お前らの生活を守るためだ』と勝ち誇ってますが、実際は違う。それは、なぜ移行期間が五年間なのかを考えれば分かります。この制度は役員クラスの意思なんです。つまり、今の平取締役クラスが二期四年間の任期を終えるまでの救済措置でしょう。わが身可愛さは分かりますが、これから融合しようという三行の行員同士に、最初からシコリを残したてスタートさせた。残念でなりません」

興銀優遇はこれだけではない。独身寮や社宅なども旧興銀マンには「安値」で「完備」されている。

「興銀の独身寮は月々数千円、世帯寮は2LDK、六十平米ほどで毎月一万円から二万円でした。都銀では社宅があっても民間マンション並の値段だったり、借り上げといって家賃の一部を補助する制度ですから、明らかに優遇されてます。それが統合発表直後に一万円値上がりして、さらに共益費という名目で一万三千円上がりました。今までは駐車場代がタダだったのですが、三万円ほど取るようになってトータルでは都銀並になりました。しかし、富士や一勧で社宅に入居できるのは地方からの転勤者や海外赴任からの帰国者などの一時的な仮住まいがほとんどです。興銀は四十代まで社宅に住み、支店長宅に引っ越すという生活をしている人もいましたから、その頃には即金で大豪邸が買えるほどの貯金を抱えることができる」(富士出身者)

これでは統合作業の段階で、「既得権を守ろう」という経営幹部の思惑が働いたと思われても仕方がない。他方、興銀カルチャーの中で育った「お坊ちゃん気質」が、都銀カルチャーの中で翻弄されている。旧興銀の行員が、一勧出身の上司に、ある部署に協力を頼もうと相談したときのことだ。その上司は同じ一勧出身の部下にこう聞いた。

「鈴木次長(仮名)はどっちだっけ?」
「彼はKです」
「そうか、じゃ話しができないな」

 旧興銀の行員が、「Kって何ですか?」と聞くと、上司は呆れ顔で、
「勧銀系ってことだよ」

こう答えたという。一勧出身の上司は、当たり前のように、「あそこはK支店だから難しい」「D系で固めると・・・」などと日常的に使っている。こうした姿を目にした旧興銀出身の行員は素直に「感心した」という。

「第一銀行と勧業銀行の合併なんて三十年も昔の話ですよ。それを、いまだにDだKだと言っても本質的には意味がないんです。ところが合併銀行の強さというか、そうしたシガラミを逆に利用する。組織というのは非効率で理不尽に見えても、一部の人間にとっては理にかなった働きをするんだと思いました」

一勧出身者の組織力は、あらゆる場面で発揮されている。気に入らない人物がいると、まず一勧内部で意図的な「悪評流し」を始める。「あの男は使えない」という話が既成事実化した段階で、富士、興銀に伝播させ、上司や人事部にまで話を流すという。

「実際、今年六月にCBの次長が僅か二ヶ月で飛ばされたんですが、それは一勧の『寝技』の成果だと言われています。仲間内で、『あれは農民の一揆みたいだ。農民が一万人蜂起すると武士が千人いてもかなわない』などと言っている同僚もいました。馬鹿にしているのではなく、一種の〝芸術〟と評価しています。彼らは関が原の闘い方を知っています。そういう意味では、興銀が『お坊ちゃん』だと言われたら、何も言い返せません。勉強になりますよ」(旧興銀出身行員)

こうした「カルチャー障害」は、三行統合という荒業を断行した以上、避けて通れない問題だ。特に支店業務で個人顧客の対応をこなしてきた「都市銀行」と、大企業を開いてに床の間を背負ってきた「長期信用銀行」の文化的楽は決定的である。これを突き崩すには「最初が肝心」で、発足当初にトップの豪腕で統合人事を推し進め「人的融合」を早めるしかなかったはずだ。しかし、〝棚ぼたトップ〟がそんな無理をするわけがない。「みずほ」という新しいカルチャーが出来ないのだから、結局、元の「母行意識」が剥き出しになり、その勢いで「縄張り争い」に明け暮れざるを得なかったのだ。


初出:巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』2003年1月号


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