「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part4

経財相に就任した直後、柳沢伯夫金融担当大臣(当事)と金融政策を巡って衝突し、自民党執行部と対立した。しかし、青木や柳沢らの「抵抗勢力」を黙らせるために、頻繁に渡米してハバード大統領経済諮問委員会委員長らと会談し、「構造改革について賞賛と期待があった」と、アメリカからのお墨付きで正当性を訴えたところに、「学閥」を持たない学者の戦略の稚拙さがあった。

その姿は、帰国子女が日本の学校の校則に「アメリカではこうだ」と文句をつけているようで、当然「ここは日本だ!」という感情的な反発を招く。政治家を相手にして感情のぶつかり合いになれば、たとえ「喋りのプロ」の竹中でも、論理的な説得は不可能だ。竹中に学閥のバックアップがあれば、網の目のように張り巡らされた「政治家ブレーン」を通じて、柔軟に政策を通すことが出来たはずだ。それを持っていないため、竹中は、「正論」で戦うしか手段を持たなかったのだ。

この頃、竹中は同じ轍を踏みつづけていた。昨年夏、日銀の金融緩和を主張する竹中と日銀首脳が、日銀の接待施設である赤坂の氷川寮で対峙した。竹中が、日銀の金融政策決定会合に出席して苦言を呈し、諮問会議でもお互いの主張は平行線のままだった。仲をとりもつための会食のはずが、竹中は喧嘩腰になり、「「あなたが、そんなことだから駄目なんだ」と捨てゼリフを残して、そのまま席を蹴って帰ってしまった。

正論ばかりで切り崩そうとしても、「自民党執行部」「日本銀行」「柳沢金融担当大臣」「東大、京大、一橋の反竹中勢力」などの反対勢力が、竹中の前後左右を包囲していた。頼みの綱のマスコミも、閣僚の資産公開で「億万長者」だったことが暴露された途端、竹中に対する風当たりが強くなっていた。すでに竹中が頼れるのは、同じ異端者の小泉しか残されていなかった。

昨秋、公的資金注入の是非をめぐって柳沢と竹中の対立が深まった。

昨年九月十五日、小泉は、高輪プリンスホテルの一室に、竹中、柳沢を別々に呼び、二人の意見を聞いた。柳沢は、「公的資金と言った途端、金融危機になる。絶対に避けるべき」と強い口調で主張した。その言葉を小泉は黙って聞いていた。

一方の竹中は、柳沢の方針を批判して、「私は自分のために言うのではありません。このままでは総理がダメになってしまう」と言って、涙を見せたという。小泉は、竹中へも返事をせず、ただ黙って聞いていた。

そして小泉が下した決断は「柳沢更迭、竹中金融担当相兼任」だった。柳沢は、金融政策に通じた政治家で、「正論」で小泉の説得を試みたが、竹中の「涙」に負けてしまった格好だ。この頃から竹中は、「政治家」に目覚め始める・・・。

     ■     ■

昨年十月、金融プロジェクトチームの発足と同時に、「竹中批判」が勃発した。しかし、今になれば、これは壮大な「茶番劇」だったのかも知れない。

銀行を中心とした「抵抗勢力」は、頭取が並んで記者会見し、「行政訴訟も辞さない」と声を荒げた。金融庁で竹中と対面した前田晃伸・みずほフィナンシャルグループ社長は、「政治的な話と経済問題を混同しないでほしい。経済は生き物だ」と発言し、これに対し竹中が、「小泉改革に反対するんですか」と、顔を高潮させて激昂したと報じられた。

しかし、この「竹中激昂」には裏話がある。全国紙の政治部記者が言う。

「あのシーンは、銀行側の資料をもとに書かれたものですが、実際はちょっと違うようです。前田社長は、世間のバッシングの尻馬に乗って、小泉さんのことを経済を知らないなどと悪し様に批判したらしいのです。それに腹を立てた竹中さんが、つい声を荒げたというのが真相のようです。そうじゃないと、竹中さんが怒る理由が不自然でしょう」

また、一部のメディアは、危ない会社の「五十社リスト」なる文書を出して危機を煽った。プロジェクトチームのメンバーの木村剛氏の「三十社リスト」を思わせるが、実際は外資系証券会社が数年前に作成した査定リストで、金融プロジェクトチームとは何の関連性もない紙キレだった。

もっとも、自民党の部会に出席した竹中は憔悴しきっていた。山本一太衆議院議員が振り返る。

「部会での吊るし上げは、本当に気の毒なぐらいでした。貸し剥がし問題が議題にのぼって、『貸し剥がしホットラインで対応する』と反論すると、さらに嵩にかかって責められる。毎日、権力闘争をしている政治家が本気になって攻める時の迫力は凄まじく、一般の人では耐えられません。票を背負ってバッヂをつけている人間と民間人は、そもそもDNAが違うのです」

十月末、金融再生プログラムの最終案を決める時、小泉はAPECの首脳会議でメキシコを訪問していた。そのため、竹中はたった一人で党三役の説得をしなければならなかった。この時、小泉から竹中に電話があった。その内容は、「きちんと説明しろ。ただし、相手の言っていることは何一つ聞かなくていい。聞き流せ」というものだった。

二十九日、竹中は、ホテルオークラで三幹事長、三政調会長に、「不良債権処理の加速策」について説明したが、税効果会計のルール変更だけで、基本方針はそのままだった。

プロジェクトチームに参加していた吉田和男・京大教授が言う。

「竹中さんは粛々と議論をするんだと言ってました。銀行はカーブ、フォークを投げて攻撃してきましたけど、『金融再生プログラム』を出すまでは、一切の反論をしないんだと。結果は『五勝一分け』だと言ってしました。その『一分け』が税効果会計の見直しにあるのかは分かりませんが、これは、すでに公認会計士協会の実務指針に明文化されています。竹中さんが、最初から税効果会計をブラフに使ったということは無いと思いますが、銀行がそこばかりに注目したのは、本当に意外でした」

竹中は、「骨抜き」と批判するマスコミに対して、税効果会計の見直し時期を延期したことが「戦略通り」だと装った。自分自身を実体以上に大きく見せることで相手を威圧しようとするのは、政治家が使う古典的な手法である。竹中は、「学閥はないが政治手腕に長けた学者」へと脱皮していた。

今年になっても、竹中は「ETF(株価指数連動型上場投資信託)は絶対に儲かる」発言や、「りそなへの公的資金注入」などで、何度となく国会で糾弾された。青木と堀内に加え、亀井静香、江藤隆美も「学者に任せられない」と声高に叫び、今年春の株価低迷を竹中の責任にしようと躍起になっていた。ところが反竹中勢力は、櫛の歯が抜け落ちるように、議員辞職や党の役職を外される結果に終わっている。

一方で、自民党の議員たちは、確実に竹中に篭絡されている。「客が集まる」という理由で、講演会に呼ぶ議員も少なくない。九月二日には松永光元蔵相主催の「自民党再生と復帰を期する会」、四日には北海道北見市の武部勤後援会主催の「オホーツク新風塾」、九月十六日には、相沢英之が、東京で開催された「囲む会」に招いている。こうした誘いに、竹中はフットワーク良く飛んでいくのだから、昨年末の竹中バッシングは、やはり〝政治ショー〟だったのではないかと思えてくる。相沢は、親しい記者にこう語った。

「竹中君は強く言うと、おどおどするんだ。だから、そのうちイジメちゃ悪いかな、という気になってくる。反論してくるというより、自分はこういう考えでやっているんです。分かって下さい、という感じで哀願調なんだ。だから、最後はこっちが疲れてきて、印象としても憎らしいとも思わないんだ」

     ■     ■

小泉首相は、改造内閣組閣後の記者会見で、株価上昇や失業率が下がってることを、「構造改革の成果」だと自画自賛した。しかし、これは良く出来たフィクションに過ぎない。

実体は、リストラと為替介入によって、企業の業績が一時的に回復し、余った金が株式市場に迷い込み、小型バブルが発生しているだけだ。政策融資によって中小企業の倒産を抑えているが、相変わらず失業率は五パーセントを超えている。そして、毎年三万人を超える自殺者の中には「経済苦」を理由にした中高年が増えている。すでに日本は、「繁栄の国」から、「人が生きるには絶望的な国」に成り下がってしまったのかも知れない。

我々が不幸なのは、竹中という「放浪学者」に、これから三年間の国家の経済運営を託すことではない。竹中の寝首を掻いてでも経済閣僚の地位を奪い、不良債権処理や産業再生という、何をやっても批判される損なポストに、自ら就こうとする政治家がただの一人もいないという現実こそ嘆くべきだろう。

竹中は、絶対に大臣の地位を自分から手放そうとはしないだろう。なぜなら、彼は、自分の身を置く「本籍」を求めて、開銀、大蔵省、大阪、アメリカ、藤沢と放浪してきたからだ。ようやく自らが望んで勝ち取った大臣の椅子を、簡単に他人に譲るわけがない。

小泉首相は、彼のライフワークである郵政民営化も、竹中に権限を委譲した。小泉・竹中は、絶対的な信頼関係で結ばれている。小泉首相の右腕として動いているように見える男、稀な政治力を持つ「放浪学者」の竹中こそ、国家運営を操縦桿を握っているのだ。


初出:「政治家」竹中平蔵 本当の実力『文藝春秋』2003年11月号


「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part1
「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part2
「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part3
「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part4