「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part3

「もしあの時」

多くの日経OBが、今日の鶴田体制の混乱を招いた遠因として挙げる社長人事が決まったのは、昭和五十六年のことである。『勝負の分かれ目』(下山進著)によると、この年の十二月、圓城寺の後を継いだ大軒順三社長が入院する国立医療センターの個室に、常務の新井明が見舞いに訪れ、次期社長の人事を書き残すよう頼んだという。新井は、自分が指名されると信じていたが、大軒が書いた名前は、専務の森田康雄だった。

大軒の長男で、朝日新聞社員の大軒由敬氏が、当時を振り返る。

「新井さんとは家族ぐるみの付き合いでした。父が入院した後、新聞記者としての興味から、『次の社長は誰になるの?』と母に聞いたら、『どうも森田さんらしい』というので、ちょっと意外に思った記憶があります。父が、なぜ新井さんを指名しなかったのか、その理由は私には分かりません」

もっとも、園城寺の下で電子メディア戦略の中枢を担ってきた森田の社長就任は、順当な人事であった。しかし、新井はそうは考えなかったらしい。当時の日経役員が振り返る。

「新井さんは、政治部出身で『総合情報化路線』に否定的な新聞至上主義者だった。森田さんは大阪の編集局長しかやってないので、傍流だと認識していた。森田社長の誕生は、新井さんはもちろん、その下で役員に取り立てられた鶴田さんの社長就任もなくなったことを意味していました。鶴田さんは、いずれテレビ東京の社長に出されるだろうと言われていました」

ところが、社長人事は再び逆転する。昭和六十三年、森田がリクルートの江副浩正から未公開株を受け取っていた事実が発覚し、退任に追い込まれたのだ。森田引責辞任の内幕について、社内ではこんなことが囁かれている。

「喉頭癌で入院中の森田の病室に、新井、鶴田、棗田(常義。当時常務、のちに副社長)の三人が押しかけて、『辞任しろ、辞任しないなら解任する!』と詰め寄ったというのです。そして、新井、鶴田、棗田の三人で二期づつ社長をやることを確約して、次期社長が確実視されていた杉野直道をテレビ東京に出したそうです」(日経部長)

三人の密約が外部に漏れることは考えられない。単なる〝伝説〟だろう。しかし、新井、鶴田連合は、こんな逸話を生んでも仕方がないほど、強引に「政権奪取」に動いたことは間違いない。二人は、昭和六十三年七月六日の緊急役員会を強引に仕切り、互いに推薦しあって、代表取締役社長、代表取締役副社長の地位を奪ったのだ(前掲書・『勝負の分かれ目』より)。

新井は、旧森田時代の有力役員を次々と関連会社に異動させて、着々と独裁政権を築き上げた。五年後に鶴田が社長に就任したときには、鶴田の周りには「敵」が誰一人いなくなっていた。皮肉なのは、グループ企業に移った元役員たちが、テレビ東京、日経BP、日経クイックなどの社長として、ドラスティックな改革で経営を立て直し、収益を確保したにもかかわらず、鶴田は、「人事をいじり回す」という旧態依然たる手法で企業統治をしたことだ。

「もともと鶴田さんは、経済部長時代から、支局で頑張っている記者を本社に引き上げたり、スクープを取った若手に一面に記事を書かせるような人情家で、親分肌でした。そして、そういう手法で自分の子飼いを増やし、周りをイエスマンで固めたのです。杉田さん(亮毅=現社長)が新人の頃、経済部に配属されたときに心労でヘトヘトになっている姿を見て、『仕事のことは忘れて自宅で静養しろ』と無理やり休養をとらせた。それ以来、杉田さんは鶴田さんに頭が上がらなくなった」(日経OB)

平成八年、棗田が急死し、最年長の役員は十歳年下の杉田になった。鶴田の「十年政権」が確定的になった日経首脳部は、〝茶坊主〟ばかりが出世することになる。経済部出身者が幅を利かすという伝統は変わらないが、これに加えて、「秘書室」「社長室」といった部署が出世コースに加わる。赤坂のクラブ通いも同じ文脈である。

「鶴さんは人見知りをするタイプで、新しい店で『その他大勢』になるのが嫌なんですよ。あの店なら、お山の大将でいられる。ゴマすり幹部がぞろぞろと来るのは当然で、鶴さんは、自分に擦り寄ってくる人は誰でも拒まずに可愛がる。これが行き過ぎて、店のママが、『○○ちゃんは駄目ね』といった戯言に人事が左右されるようになった。鶴さん持ち前の『人を見抜く目』が、明らかに衰えてきた」(鶴田と同期の日経OB)

毎晩のように同じクラブに通い、芋焼酎を飲み、碁を打ち、部下に演歌を歌わせる。思いつきで政治部を動かし、大臣の居場所を調べて電話で説教する。日経の社長となれば、政治家も邪険にできない。その挙句に発生したのが、「論説委員左遷事件」である。

一昨年、亀井静香政調会長(当時)が打ち出した「銀行保有株式買上機構構想」を社説で批判した佐野正人論説委員(当時)が、「社論に反した」という意味不明な理由で飛ばされたのだ。この買上機構は、そもそも鶴田が亀井氏に提案したものだったので、メンツを潰されたというのが真相である。

秘書室長から呼び出されて社長と対面した佐野氏は、激昂した鶴田から、
「しばらく書くな!!」

と言い渡されたという。一週間後、佐野氏は、弁明の機会も与えられず、「日経産業消費者研究所」に異動させられた。日経の「言論」に、社長みずからが泥を塗ったも同然である。


初出:「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落 『文藝春秋』2003年7月号


「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part1
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