巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part1

「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに=『古事記』)
元来、みずみずしい稲穂が豊かに実る国という意味を持ち、日本国の美称であったはずの「みずほ」の三文字は、いつの間にか禍々しいイメージに塗り替えられてしまった。駅のスタンドに並ぶ夕刊紙には、連日、「崩壊」「倒産」「国営化」といった見出しが躍る。みずほフィナンシャルグループの持ち株会社「みずほホールディングス」(HD)の株価が百円割れ(五十円額面換算)し、来年三月期に二千二百億円という桁外れの連結赤字になる以上、みずほが「危機」に直面しているのは紛れもない事実である。
しかし、みずほグループの危機とは、すなわち、「水穂国(日本経済)の危機」であると、いったい、どれほどの日本人が認識しているだろうか。
言うまでもなく、みずほグループは、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の三行を統合した世界最大の金融グループである。一口に「世界最大」といっても、その規模の大きさは、おそらく我々の想像をはるかに凌駕するものだ。興銀、一勧、富士は、GHQによる財閥解体後、旧三大財閥(三井、住友、三菱)以外で、新たに形成された企業グループの中核銀行だった。富士は、旧安田財閥を中心に複数の旧財閥が集まって「芙蓉グループ」を作り、一勧は、旧古河財閥系と融資先企業で「三金会」を組織。興銀は重厚長大産業を中心にグループを形成した。

こうした背景をもつ三行が統合したみずほグループは、上場企業の七割と取引関係があり、一部上場企業の四割のメインバンクとなった。さらに、中小企業向け融資が四十兆円、国民の四人に一人が個人預金口座を持ち、連結総資産は百六十兆円を超える。つまり、日本中の企業や個人の「血液」となる金を供給する「動脈」になのだ。仮に「倒産」などという事態に陥れば、脳に血液を送る頚動脈、肺動脈、手足の大動脈、そして毛細血管までまでがズタズタになる。日本は「即死」に陥るだろう。
自ら望んで日本の動脈となった巨大金融グループが迷走する原因は、みずほ自身にある。統合発表から三年半、この間、みずほグループ内部で何が起きているかを検証すれば、その「失敗の本質」が自ずと明らかになるだろう。

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平成十二年八月二十日、西村正雄(興銀)、杉田力之(一勧)、山本惠朗(富士)の三頭取は、帝国ホテル「富士の間」で、三行統合を発表し、満面の笑顔で手を握り合った。多くのメディアは、「金融ビッグバン」の成果を謳いあげ、外資と伍して闘えるメガバンクの誕生を両手を上げて絶賛した。ところが統合早々の今年四月九日、みずほの経営トップは、疲れた表情で記者会見にのぞみ、深々と頭を下げていた。システム障害で国会に参考人として呼ばれた直後の前田晃伸・みずほHD社長の憔悴した姿である。

障害発生直後に社長が会見をしなかったことを聞かれると、「直ちに会見するべきとは思い至らなかったが、会見すべきだった」と答える。国会で「実害はない」と発言して袋叩きにあった後だけに、神妙な顔つきだが、進退については、「軽々しく辞める気はない」と言い、いまだ社長をつづけている。
こうした発言を聞くと、前田社長には「日本の動脈」を担っているという、みずほのトップにとって不可欠な認識が、決定的に欠落しているのではないかと思えてくる。銀行にとって絶対不可欠な「信用」をどう考えしているのか。なぜ、責任感の薄い人物がトップに立っているのか。実は、「町役場の出納課長みたい」(金融担当記者)といわれる前田社長就任の経緯にこそ「みずほ迷走」の根本的な原因があるのだ。
そもそも、HDの初代社長には、統合を決めた三頭取の一人、杉田氏が就任することが内定していた。杉田氏は、一勧の総会屋事件の際、銀行再生を目指した「(中堅幹部)四人組」が常務から担ぎ上げて頭取に押し上げた人物である。三頭取の中で最年長の西村氏にも山本氏にも好感をもたれていた。ところが、昨年春に杉田氏が病気で倒れてから事態が急転する。
「当初は、山本(富士)氏のHD社長就任という見方もありましたが、一勧からは西之原敏州副頭取を推す声が強まった。敏腕という点では群を抜く西之原ですが、自らトップを取りに動いたと疑われ、さらにマイカル処理を巡って経営責任を問われたことで興銀、富士サイドから物凄い反発が起きたのです。さらに、病気の杉田氏に代わって出席すべき三頭取の会合に、一勧の別の副頭取を代理に出して、自分は本体の不良債権処理に専念していた。それでいて、一回りも年嵩の西村に、『そうはおっしゃいますけどね』などと直言も辞さなかった。こうした態度が西村さんに、『この男には任せられない』という印象を与えてしまった。統合のために開かれた三行合同の部長会も、西之原が裏で仕切るかたちになり、一勧を除く二行は、トップから部長クラスまでが反西之原に回ってしまったのです」(みずほ関係者)
この混乱を鎮めるため、杉田氏は、「三頭取が退任して若手に経営を委ねるべき」と提言した。西村氏は、この案を飲むのと引換えに「西之原の退任」を断行する。しかし、HDの副社長以上のポストに西之原氏より年次が古い人間を残したままではバランスがとれない。こうして、昨年十一月末、「HDのトップ九人が退任」する大刷新人事になった。
この相討ち人事によって、奥本洋三氏(興銀副頭取)と小倉利之氏(富士銀副頭取)といった実力バンカーが退任を余儀なくされ、さらに池田輝三郎(興銀副頭取)のような各行の「エース」が消え去った。そして、人事抗争で何もしなかった前田氏にHDの社長の椅子が割り振られる。
「富士が〝HDの社長〟になる以上、人選までは他行は口を出せませんでした」(旧一勧幹部)
前田社長の誕生は、三行の「主導権争い」と「バランス人事」の副産物に過ぎない。こうして、、〝棚ボタ社長〟に、「日本の動脈」を担うコーポレート・ガバナンス(企業統治)の重責が押し付けられたのだ。ここにみずほの悲劇がある。前田社長の資質以前に、その就任プロセスこそ、みずほの深刻な問題を象徴している。

初出:巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』2003年1月号