「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part1


昭和二十七年四月。

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約の発効で、GHQによる「占領時代」が終焉したこの月に、早稲田大学政経学部を卒業した、茨城県水戸市出身の一人の青年が、『日本経済新聞社』の門をくぐった。

当時の日経新聞は、仰々しく「日本経済」の名を戴いているが、発行部数は五十万部程度で、この年の新入社員も約二十五名と、中堅新聞社に過ぎなかった。三井物産の子会社だった『中外物価新報』という相場情報紙からのイメージを引きずり、「兜町新聞」「株屋新聞」の渾名で、朝日、毎日などの一般紙の記者から揶揄されていた・・・。

それから半世紀。

日経新聞の発行部数は三百万部を突破し、従業員は約三千七百人、総売上二千二百億円にまで急成長した。グループ企業には、テレビ東京(放送業)、日経BP(出版)、QUICKグループ(株価情報サービス)、各付投資情報センター(債券各付)などを従え、名実ともに「総合経済情報企業」の名を欲しいままにしている。

日本の「戦後」がスタートすると同時に日経に入社した青年の名は、「鶴田卓彦」という。その鶴田が、いまや世界に冠たるクオリティーペーパーとなった日経の頂点に君臨している。鶴田は、多くの記者や経営陣が、五十年の歳月をかけて築き上げた歴史の上に鎮座し、そして七十五歳という齢を重ねた今、その伝統と権威を、自らの手で地に堕とそうとしている・・・・。

その事実は、日経を代表する一人のスクープ記者による、身を賭した告発によって明らかになった。

    ■      ■

一月二十五日、日経新聞の大塚将司ベンチャー市場部長(=当時、五十二)は、大田区の自宅から東京駅に近い東京中央郵便局に行き、用意した十数通の封書を速達で郵送した。大塚氏は、目と鼻の先にある日経本社には目もくれず、そのまま自宅に戻ると、今度はノートパソコンからインターネットの郵政事業庁のホームページから、一通の内容証明郵便を送付した。

内容証明郵便の送り先は、日本経済経済新聞社の鶴田社長(当時)である。「株主提案権の行使に関する件」と題された文書には、三月二十八日の株主総会で「鶴田社長の取締役解任」を要求する提案文と理由が記してあった。一方、速達郵便の送り先は役員と上司などで、提案文とそれにいたる経緯を説明し、賛同を求める文書が添えられていた。役員以外への文書は、世話になった先輩への礼儀として送った「私信」だった。

提案理由は、「日経の百パーセント子会社ティー・シー・ワークス(TCW)の手形乱発問題」と、「鶴田社長が赤坂のクラブ『K』に頻繁に通い、女性経営者を愛人にしている疑惑がある」という二点が挙げられている。

これが、世に言う「大塚斬奸状」であり、日本経済新聞社に、創刊以来の激震を呼び起こすことになる。

大塚は、昭和五十年に入社し、証券部から経済部へ進み、イトマン・住銀事件のスクープで旧知の磯田一郎会長(当時)を退任に追い込んだ。平成七年には東京三菱銀行合併をスクープして、新聞協会賞を受賞した敏腕記者である。東京三菱のスクープでは、鶴田から、「社長賞」ももらっている。

大塚は、社長解任を提案するにいった理由をこう語る。

「金融機関への公的資金投入が囁かれだした頃、私は銀行の頭取や幹部たちに、『あなたたちが全員辞めて、見返りに資本注入を受けるしか道はない』と進言してきました。しかし、それを紙面で主張する勇気はなかった。その後に大手行が破綻し、現在もメガバンクの危機が続いてます。『日本経済の大きな節目で、何もなしえなかった自分には、もはや沈黙を守るのみ』と密かに考えていました。このまま沈黙を守れば、部長からそこそこのポストに就き、子会社の役員ぐらいにはなれるかもしれない。しかし、それが許されるのだろうか。日経読者であるサラリーマンの苦しみをみて、自分だけ自己満足に浸っていていいのか。そんな思いを抱いている時に、鶴田体制の醜聞を知ったのです」

日経の子会社問題や鶴田社長の愛人疑惑は、昨年春頃から頻繁に社内の人間が作成したと思われる怪文書などで頻繁に告発され、一部の雑誌でも報道されていた。大塚は、昨年九月から、子会社の手形乱発の実態を取材し、赤坂のクラブを知人に張り込ませるなど、裏付け調査をしていた。その一方で、会社の業務は通常どおりにこなしてきた。

二十七日午前十時半頃、自宅から会社に向かう途中の大塚氏の携帯電話に、デスクから「(平田保雄)編集局長(当時)が呼んでますよ」という連絡が入った。出社して、三階の局長室で平田氏と対面した。

「せっかく取り立ててやったのに・・・。あの私信は会社に届けた。(手紙の内容は)事実と違う。会社も君も、そうとうなダメージを受けるぞ」

「僕が誹謗中傷を受けるのは、覚悟の上です。迷惑を蒙る方もいるでしょう。しかし、これは会社のために避けて通れないことなんです」

席に戻った大塚は、解任提案に賛同を呼びかけるために、「斬奸状」と同じ内容を記したメールを五十七人の部長宛に送付した。昼食から戻ると、今度は斎藤史郎編集局総務(当時、現編集局長)から呼び出された。

「社内メールを私用で使ったので、君のアクセス権を剥奪する!」

「構わないですよ」

翌日、大塚は、朝刊の記事を最終チェックする局番デスクだった。そこには、「三月の株主総会で鶴田が代表取締役会長、グループCEOに就任し、後任に杉田亨毅副社長が昇格する」という自社記事が掲載されていた。他のデスクからは、「会長の写真が上にあるのは変じゃないか?写真は社長だけでいいだろ」という声があがったが、大塚氏は何も言わず、そのまま記事が掲載された。

二十九日、大塚は、斎藤総務、秋吉穣法務室長から呼び出される。

「君の労務の提供を拒否する。もう部長会にも出るな」

「部長である以上、部長会には出席します。出席させるのが嫌なら、正式な処分をすればいいでしょう」

大塚は、日常の業務を続けたが、会社側は、弁護士を立て、「株主提案の社長解任理由の『愛人』の記述が名誉毀損に当たる」と、大塚への反撃を始める。二月十四日には、大塚の部長職を解き、編集局長付に「左遷」する人事を発表した。

三月六日、鶴田は大塚を名誉毀損で告訴し、続いて三月二十日に大塚は懲戒解雇処分になった。会社側はその理由を、「鶴田社長のプライバシーに関して事実無根のことを記述した文書を社内約六十人に送り、鶴田社長と関係者の名誉を毀損し、プライバシーを侵害」した大塚氏は、「法規にふれ、会社の体面を汚したとき」に解雇処分にする、という就業規則に反したと説明している。

しかし、この就業規則は「法律に違反することで、会社の体面を汚した場合に解雇できる」という意味ではないのか。どう考えても、大塚氏が就業規則に反したとは思えない。それとも日経の社員は、告訴されただけで解雇させられてしまうのだろうか。

本当の解雇理由は、別にあるのだろう。それは「鶴田に反旗を翻したから」と考えざるを得ない。そして「大塚解雇」は、記名投票式の株主総会で「鶴田解任」に賛成票を投じたら、その後に社員がどのような目に遭うか、無言の恫喝になったことは言うまでもない。三月二十八日の株主総会では、鶴田解任提案は、四パーセントの賛成しか得られず、否決されてしまった。

初出:「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落 『文藝春秋』2003年7月号


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