日本長期信用銀行国有化後の千昌夫『FRIDAY』


〝歌う借金王〟こと千昌夫(51)が、埼玉・戸田競艇場のイベントホールで行われた「千昌夫歌謡ショー」で、久しぶりにファンの前に姿を現した。

「私、1レースは4-5だと思うんです。これで借金を返そうと思ってます」

と、自分自身への巨額融資が「焦げ付い」た日本長期信用銀行が破綻、国有化され、公的資金の投入という事態に陥ったことなど目もくれず、借金ギャグを連発し、観客の爆笑を誘っていた。しかし、この日、ステージに立った千の体形は、ご覧の通りの太り過ぎの二重アゴ。大汗をかきながら、ペットボトルを片手に歌う姿には、哀れさすら漂う。しかも、『北国の春』を歌っても、サビの「ふるさとへ帰ろかな・・・」と盛り上がる高音部分で、声がかすれてしまう。ブランクが長かったためか、高音が出ない。ブランクが長かったためか、自分の代表曲すらきちんと歌えなくなっているのだ。

沖縄慶良間列島 座間味村のホテル建設を巡る権力闘争『FRIDAY』

沖縄県宜野湾市内のラブホテルから、一組の男女が姿をあらわし、今まさに車に乗り込もうとしている。右側の男性は、同県座間味村村長の與儀九英氏(68)、左は村役場の女性職員(42・3月末に退職)。

長寿で有名な沖縄とはいえ、白昼堂々と26歳も年下の女性を伴ってラブホテルとは、何ともアッパレな元気溌剌ぶりであるが、人口約1000人の座間味村は、今この「不倫逢い引き写真」を巡って大揺れに揺れているのだ。

座間味村は、沖縄本島の南西に位置する慶良間列島の一部で、太平洋戦争終結時の1945年3月に、米軍が初上陸した島。現在は世界一美しいといわれる珊瑚礁を抱えるスキューバダイビングのメッカだ。毎年、多くの観光客で賑わうこの村で、何が起こったのか。

小渕首相の貸し渋り対策20兆円が国を滅ぼす『FRIDAY』

小渕恵三首相(61)が、「中小企業支援」を謳い文句に打ち出した、銀行の「貸し渋り対策」(中小企業安定化特別制度)が、足元から揺らいでいる。昨年10月のスタート以来、この制度を利用して融資をうけた中小企業が続々と倒産しているのだ。 民間信用調査機関・帝国データバンクの熊谷勝行情報部長が言う。

「倒産の続出は、この政策がいかにデタラメで、税金をズサンに使っているかを証明しています。政策本来の目的を考えれば、これらの企業は一社たりとも倒産してはいけないはず。『貸し渋り対策』といいながら、実際は、その元凶である銀行に税金で不良債権の埋め合わせをさせているに過ぎません」

横浜佐々木主浩投手 サイパン乱闘事件の現場写真 『FRIDAY』 

「こちらが一方的に暴力を振るったように言われてますが、原因を作ったのは佐々木さん本人です。それを『被害者』のように主張してる。有名人なら何をしても許されるのでしょうか。もう黙っていられれません」

怒りに震えた表情でこう話すのは、都内でクラブを経営するA氏。このA氏こそ、1月18 日、横浜ベイスターズの佐々木主浩投手(28)が、サイパンのカラオケクラブ『ブルーラグーン』で殴られ、11針も縫うケガを負った乱闘事件のもう一方の当事者、つまり喧嘩相手の一人なのだ。もちろん、乱闘相手がマスコミの取材に応じるのはこれが初めてである。

岸部四郎破産の真相『FRIDAY』

レギュラー番組を投げ出し、自己破産を申請--。岸部四郎氏(48)の行動に、マスコミ各社は連日「突然なぜ?」と報じているが、この一件、本誌にしてみれば、「突然」でもなんでもない。

彼の危ない〝裏の顔〟について、本誌はすでに昨年4月18日号で指摘している。本人名義の額面1000万円の約束手形と免許証のコピーが金融プローカーの間に出回っていることを報じ、情報番組の司会者として、彼は不適格ではないかとの疑問も呈していたからだ。

岸部四郎の〝手形コピー〟が妙な所に出回っている『FRIDAY』

いま一部の金融ブローカーの間で、奇妙な約束手形のコピーが出回っている。額面1000万円、振出人は岸部四郎氏(45)。しかも、ご丁寧に岸部氏本人の免許証のコピーまで添えられているのだ。ある銀行幹部はこういう。

「有名企業の手形のコピーが出回ることはよくありますが、ほとんどが偽造。こうしたコピーは、手形詐欺やM資金などの架空融資に悪用されるケースが多いので非常に危険なんです。しかしこの岸部さんのケースは、免許証のコピーが一緒ですから本人も関与しているのは確実。事業家失格ですよ」

大石寺が手に入れた「8億円豪邸」の使い道『FRIDAY』

東急大井町線の等々木駅から徒歩で5分、東京・世田谷でも屈指の高級住宅街の一角に、この白亜の豪邸がそびえ立っている。

敷地面積は863㎡、床面積は307㎡に及ぶ。しかも、23区内では唯一の等々木渓谷に面しているので、鬱蒼と生い茂る木々や眼下を流れる谷沢川への眺望が、都心では考えられない絶景であることは間違いない。この大豪邸の「事実上の所有者」が、創価学会との激しい宗門争いを繰り広げている日蓮正宗総本山「大石寺」の阿部日顕法主(72)ではないかとといれわているのだ。

NHKスペシャルが持ち上げた〝病院再建屋〟が倒産雲隠れ『FRIDAY』

〈26歳で病院の事務長を務めた後、巨大な病院グループの幹部として全国に病院を開設した経歴を持つ。その後、35歳で独立・・・現在、顧問をつとめる病院はおよそ30カ所。経営建て直しにも数多く取り組んできた───〉

NHKの看板番組「NHKスペシャル」が、『病院再建の内幕』と題した93年1月13日放映分でこう持ち上げた人物が、忽然とその姿を消してしまった。「日本病院サービス」社長の脇隆治氏(48)。病院経営コンサルタント、病院再建屋として、NHKをはじめ、数多くのマスコミにもてはやされた人物である。

ソフトバンクモバイルに巻き返しの秘策はあるか『Foresight』Part2

「一昨年五月、ソフトバンクは米系投資ファンドのリップルウッドから日本テレコムを買収した。すると日本テレコムの社員が、ボーダフォンに転職したのです。ソフトバンクの傘下で働くより、同じ外資のボーダフォンの方が勤めやすく、給料も良かった」(元日本テレコム社員)

そのボーダフォンをソフトバンクが買収すると、再び社員の大移動が始まった。

「今度はボーダフォンの社員がウィルコムなど他の通信会社に転職し始めた。比較的給料がよかったボーダフォン社員は、報酬の見直しで給料が下がることを嫌がったのです。毎月、三十~五十人が退職していると聞きます(ソフトバンクモバイル広報は「退職者は二桁前半で許容範囲)と説明)。こんな事態は、東京デジタルホンからジェイフォン、ボーダフォンと会社組織が変わった時にも無かった」(通信会社幹部)

巨額のLBO(相手先企業の資産を担保にした買収)の結果、総額二兆円を超える負債を抱えたソフトバンクモバイルは、「資金が枯渇」していた。孫が満を持して派遣した幹部たちは、現金が足りないまま、戦いを強いられたのだ。

ソフトバンクモバイルに巻き返しの秘策はあるか『Foresight』Part1

「ワンセグ携帯では905SHが三ヶ月連続でナンバーワン機種」
「全ての携帯機器の八月販売実績で705SHが一位。ボーダフォン創業以来、初の快挙です」

九月二十八日、東京・ホテルオークラの「平安の間」に数百人の報道陣を集め、ボーダフォン(十月一日にソフトバンクモバイルに社名変更)の新機種発表会見に臨んだ孫正義は、買収後の「躍進」を、自信に満ちた表情で自賛した。

しかし、孫の言葉とは裏腹に、アナリストは「巨額の有利子負債」や「高額すぎる買収」を酷評し、ソフトバンクの株価は低迷している。モバイル・ナンバー・ポータビリティ(MNP=同じ電話番号で携帯電話会社を替えられる制度)の実施を一ヵ月後に控え、わずか十六%のシェアを打開するため〝起死回生の秘策〟が出てくると思われた。二年前、新聞の全面広告で「いま声をあげなければ、この国の携帯電話料金はずっと高いままかもしれません」と主張していた孫は「〝大人のソフトバンク〟として、ユーザーの意見を聞きながら一歩一歩、詰めていきたい…」と繰り返し、「通話料の値下げ」に明確な回答を避けた。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part4

今回の「高値買収」が、「新生ボーダフォン」の経営の足かせになることは、間違いないだろう。

PHS事業を展開するウィルコムの八剱洋一郎社長は、一兆二千億円もの銀行融資に言及する。

「最初一年の繋ぎローンの利払いだけで、年間数百億円払わなくてはいけない。二年目以降のLBOローンでは、銀行との契約で、利益指標はこれくらい、キャッシュはこのくらいとか、条件が付く。そうなると、最初の二年間はかなりの赤字で、三年目からV字回復プランも採りにくい」

株式交換をせずに、買収資金をすべて現金で調達したことが災いした。通信会社のYOZANの高取社長もこう言う。

「新生ボーダフォンをドライブするのは名古屋めたっく通信を創業した宮川潤一さん。彼には、先見性や人望、マネジメント能力が備わっている。厳しい資金調達をした中で、夢やロマン、ライフスタイル・カンパニーという構想よりも、孫さんが宮川さんにどれだけの資金をチャージできるかにかかっている」

一兆七千億円もの巨費を投じたにも関わらず、なぜボーダフォンに現金が必要なのか。それは、半年後の十一月に「番号ポータビリティ」の実施が決定しているからだ。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part3

なぜ、孫はこのような高値で買収してしまったのか。投資銀行幹部は、「情報戦に負けた」と言う。

「孫さんは、そもそも七千五百億円と負債二千五百円の合計、一兆円ほどで買収できると考えていたでしょう。これは交渉をスタートさせる金額としては妥当です。時間をかければボーダフォンが焦り出すのは分かっていたはず。ところが、ボーダに先手を打たれて『買収交渉中』という情報をリークされた」

三月四日未明。ロイター通信が、「ソフトバンクがボーダフォン日本法人買収交渉」と報じると、孫は他の買収者の出現を焦り始めた。それを見透かしたように、英フィナンシャル・タイムズ紙が「投資ファンドのKKRとサーベラスが買収に名乗りを上げる」と報じる。

そして、最後の追い討ちをかけたのが、ロイター通信がニューヨーク発で報じた「サーベラスが全額現金で百五十億ドル(一兆八千億円)での買収提案予定」という日本時間三月十六日のニュースである。この翌日、「一兆七千五百億円」で交渉が成立し、記者会見に臨むことになった。

服部氏は、「ボーダフォンのリークによるブラフではないか」と見る。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part2

この頃から、ソフトバンクや携帯電話事業に新規参入を予定しているイーアクセス、さらにドコモやauにも、外資系投資銀行のバンカーが、「俺ならモローに渡りを付けられる」などと、不確かな買収構想を持ちかけ始め、〝ゴールドマン・サックス(GS)がデューディリジェンス(資産査定)に入った〟〝リップルウッドが総務省に圧力をかけた〟といった噂話が飛び交った。

しかし、ボーダフォンの交渉窓口は一人のバンカーが握っていた。その男は、UBS証券東京支店の投資銀行本部のマネージング・ディレクター、スティーブン・トーマスという日本人の妻を持つ英国人バンカーである。

「トーマスは、日本語が堪能で、ボーダフォンの経営陣とは極めて密接な関係を築いていた。鈴鹿のF1グランプリでは、ボーダフォンがスポンサーをしているフェラーリの応援で貴賓席に陣取っていたほど。UBSは、Jフォンの買収、日本テレコムの売却でもボーダフォンのアドバイザーをしている。ボーダの売却が、〝UBSのトーマス〟のディールになるのは既定路線だった」(外資系投資銀行の幹部)

一方のソフトバンク側には、ゴールドマン・サックスがアドバイザーに就くことが確実視されていた。GS日本法人の社長で、投資銀行部門のヘッドでもある持田昌典は、日債銀の買収、ダイエーホークス買収などを手掛けている。さらに持田は、孫の長女を部下のアナリストとして雇っているほどだ。

孫正義は一兆円をドブに捨てた『週刊文春』Part1

三月十七日、東京汐留のホテル「コンラッド東京」で、ソフトバンク社長の孫正義は、数百人の報道陣とテレビカメラの放列を前して、満面の笑みをたたえていた。

一兆七千五百億円でボーダフォンを買収・・。

日本企業で史上最高額のM&Aを成功させた晴れの舞台で、孫は途方も無い将来像を語り始めた。

「我々は、単なる音声の通信サービスカンパニーではない。決して総合通信会社とは言わないでもらいたい。それは私の志からすると小さい。我々が目指す姿とは、『総合デジタル情報サービス・カンパニー』『二十一世紀のライフスタイルカンパニー』です」

その言葉は、逮捕されたライブドアの堀江貴文や、TBSの経営統合に手こずる楽天の三木谷浩史など歯牙にもかけず、〝仇敵〟のNTTグループをも凌駕することを、高らかに宣言するものだった。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part4

昨年十一月、巽氏は孫社長のもとをたずねて、NJIの経営問題に手を貸して欲しいと頼んだ。しかし孫社長は、「いやいやそれは心配いりません」というだけで、具体的には何もしなかったという。ソフトバンクは、巨額の有利子負債の返済のため、米イー・トレードや米ヤフーの株の売却に動いており、「それどころではなかった」(巽氏)のだろう。

また、同じ時期に巽氏と会った北尾社長はこんなことを言ったという。

「北尾さんは言うてたね、『孫さんはそういうことには全部飛び付く。しかし後は尻切れトンボになる。今も全然そんなの解決したりという気持ちはない』と。『だから巽さん、あなた(大証)がこれを引き取らないと駄目なんです。こんなもんタダじゃないですか。大手の証券会社も欲しいと思ってる。だったら巽さん、この機会にこれを中心に日本の新興市場をまとめて、東証に対抗するぐらいのものを作って下さい。そうしないと我々も浮かばれない』と。僕も、そりゃ正論やなと思いました」(巽氏)

大証と米ナスダックの関係修復を果たせるのは、おそらく巽氏に勝るとも劣らない交渉力を持つ孫社長をのぞいて他にはいなかっただろう。その後、大手証券会社に増資を頼み、佐伯社長を更迭し、NJIのリストラに手をつけても、もはや、今年の契約更新が実現しないのは当然の結末だった。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part3

ナスダック・ジャパンの開設を間近に控えた頃、マスコミ各社や証券会社に怪文書や怪メールが迷い込みはじめる。その内容は、NJIの社長、佐伯達之氏の行動を批判するものだった。

「ソフトバンクから十億円の支度金をもらった」「渋谷の高級マンションを買ってもらった」という真偽不明なものに始まり、ゴルフ接待や遊興費ばかりに経費を使っているという、内部関係者でしか知り得ないものまで含まれていた。佐伯氏は、日本IBM時代から無類のゴルフ好きであり、また金に糸目をつけない接待営業マンだったことは、業界では広く知られていた。そして、証券業界について、まったくの素人であったことも、周囲からの不協和音を生じさせる原因になったのだろう。

特に喧伝されたのが、巽氏との「不仲説」である。巽氏は「仲が悪い」という事実は否定するものの、佐伯氏の非常識な行動に不信感を抱いていた事実は隠そうとしない。

「佐伯君に、一月四日(二〇〇〇年)の大発会で、みんなに紹介してやると言ったんです。当日、大証の建物の下に朝八時に行ったら佐伯君が来てないんやけど土屋君(=陽一、元三洋証券社長)が来とんのやね。土屋君が何でこないとこへ来とんやと僕は思うたら、土屋君をナスダックへ入れるっちゅうんですな。で、私の会社に佐伯君と二人で来ましたわ。そこで私は、『おい、ちょっと待て。土屋君、キミ、どんな常識してんねや。業界の寄託証券保証基金、四〇〇億円もババかけた。絶対駄目だすぐクビにせえ』と言った。そうしたら『北村さんがOKした』っちゅうわけです。そんなおかしな話はないと、『俺は駄目だ。(エレベーターで)下に降りるまでにクビ切っとけ』と、目の前で言うたんですよ」(巽氏)

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part2

「三月十三日にモスクワからや言うて、孫さんから電話があったんです。三月十五日に二時から三時までの間にナスダック協会を作ると。それで、『一時から二時まで二人で話し合えないか』と。(その場で)ノーならやめようと。『イエスかノーかだ』という話なんですよ。孫さんは、『北村さんに言わないでくれ』ということでしたが、僕は北村君に話したんです」(巽氏)

当時、大証の理事長は大蔵省出身の北村恭二氏だった。しかし、国際証券業協会を通じて海外の証券業界とも人脈のある巽氏が、交渉の席に必ず同席してきた。孫社長は、理事長である北村氏を飛び越えて、「実力者」の巽氏との直接交渉で問題を打開しようと図ったのだ。

その後、帰国した孫社長から、巽氏のもとに再び電話が入る。

「北村さんに言ったんですか。言ってもらわない方が良かったですけど・・」

こう苦言を呈する孫社長を、巽氏は、たしなめた。

「いやいや、それは言わないかん。彼がサイン権者やから。彼をそこへ出してもらわんことには立場がない。皆が出た方がええ。僕も前向きに対処するがな」

すると、孫社長は最後通牒ともとれる提案で切り返した。

孫経営の終焉、ソフトバンクの憂鬱『PRESIDENT』Part1

「昔から通信がやりたかった」

ナスダック・ジャパンの日本撤退が決まった直後、新聞に孫正義社長のこんな発言が掲載された。

しかし、何人の財界人や投資家が、この発言を額面通りに受け止めるだろう。孫社長ほど、中核に据える事業を転々とさせる経営者はいない。その多くが、巨大な規制の壁を打ち壊し、既存の大企業の存在を脅かした途端、スッと熱が冷めたように興味を失い、新たに次の「敵」を見出して、そこに経営資源を集中する。たぐい稀なるベンチャー精神の持ち主という見方もできる。しかし、打ち捨てられた業界は、巨大な台風に荒らされた後の都市のような、無残な惨状に喘ぐことなりかねない。

二年前、鳴り物入りで上陸した「ナスダック・ジャパン」(NJ)の撤退は、私企業の提唱で市場を作り、「儲からない」という理由だけで看板を外したことで、「株式市場を軽くあしらった」と、多くの市場参加者から非難を浴びた。大阪証券取引所の巽悟朗理事長と、孫社長の「右腕」であるソフトバンク・ファイナンスの北尾吉孝CEOの話を中心に、上陸から撤退までの内情を浮き彫りにする。

孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part5

昨年夏からスタートした「ヤフーBB」のADSL(非対称デジタル加入者線)を用いたブロードバンドサービスは、孫社長にとって「最後の賭け」になるだろう。これまでのソフトバンクのビジネスは、商品や会社を右から左に流すだけで、華はあっても実がない〝虚業〟に近いものだった。巨額の有利子負債を抱えたソフトバンクには何よりも「現金」が必要である。失敗すれば「身売り」という選択肢すら現実的になってくる。

孫社長は、スピードネットの過ちを繰り返さないため、ヤフーBBの立ち上げでは周到な用意をした。それは、経営危機に陥った「東京めたりっく通信」の買収劇の舞台裏をみるとよく分かる。東めた社は、日本ではじめてADSL事業をスタートさせたブロードバンドの先駆者で、技術者集団が作り上げたベンチャー企業である。東めた社の元社長、東條巌氏が当時を振り返る。

「孫ちゃんが買収に関心を持ったのは、東めた社の経営危機が新聞で報道された後です。我々も時間的なリミットに迫られ、総額十一億円という非常に安い値段で売却する結果になったのです。私は売却の時に、『東めた社のユーザーは最初にブロードバンドに入った宝物だから、彼らを失望させないで欲しい』『社員をクビにしないで欲しい』と二つのお願いをしました。孫ちゃんは『大事にしていきます』と言いましたが、同時に『自分のために買ったんです』とも付け加えました。今考えると、『会社を部品として解体していく』ということの含みだったんでしょう。まさか、あの直後にヤフーBBを立ち上げるとは夢にも思いませんでした・・・」

孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part4

ソフトバンク、東京電力、マイクロソフトの三社が手を組んで乗り出した無線インターネット接続サービスの「スピードネット」は、「ベンチャーと重厚長大産業が手を結んだ」と、ネットバブル真っ只中に大々的に発表された。

孫社長は、小中学校に十年間の無料サービスを提供すると言い、「東電のファイバー網を使うのだから、高額の回線使用料を払わなくて済む・・・もちろん、我々は慈善事業者ではない。ユーザーのすそ野の拡大が狙いだ。偽善ではなく、二、三十年先をみて、最も重要な見込み客に“試食品”を提供するようなものだ」(九九年八月十四日、日本経済新聞)と、将来構想を語っていた。

しかし、事業パートナーである東京電力の荒木浩会長自身、実は孫社長と顔を合わせたのは記者会見で同席した時が二度目だった。つまり両社のトップは発表までたった一回しか会っていなかったという。荒木会長は、この会見を「拙速だった」と回想する。

「もともと我々も、電柱を生かしたインターネットビジネスが出来ないかと模索していたのです。そこへ孫さんが、『電柱を貸してくれませんか』と飛び込んで来たのです。とにかく当時は、錬金術の人物として名前が売れていたし、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。我々にはハード面の経営資源がある。孫さんからはソフトの成型支援があるのだろうと、私は考えたんです。それで思惑がマッチしたわけですが、彼はスピードネットを政府のIT戦略会議でブチ上げたかったんですな。それで記者会見を急いんです」

孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part3

ネットベンチャー投資に専念すると決めてからの孫社長の猪突猛進ぶりは凄まじい。米シリコンバレー在住のベンチャーキャピタリストはこういう。

「ちょうど九八年頃からです。ITやネットビジネス系のアメリカ企業に、孫さん本人が乗り込んできて経営者をかき口説くんです。『ソフトバンクの資本が入れば真っ先に日本市場に参入できる。是非とも出資させてくれ』と、一日に何社も回る。「なんとかドットコム」「イーなんとか」という社名なら何でもOKという勢いでした。もっとも我々は、企業を育成する投資というより、全ての出走馬に有り金を注ぎ込む『イージーマネー』という見方をしてました」

「インターネット財閥」や「時価総額経営」、さらにアメリカで成功したビジネスを時間差で日本に持ち込めば必ず成功するという「タイムマシン経営」といった聞きなれない言葉が飛び交い始めたのはこの時期だ。そして、ベンチャー市場「ナスダック・ジャパン」の創設にも成功する。先の成毛氏の「卸業者的な投資」という見方をするなら、「ナスダック・ジャパン」は、いわば会社という商品を販売する量販店である。

投資先の株式公開で、ソフトバンクの資産が膨張していく--「時価総額経営」なるものが成功したかに見え、最盛期の時価総額は二十兆円になった。ところが、肝心の仕入れた商品(企業)の質の低さが露呈して、今や時価総額は六千八百億円にまで萎んでいる。今年になってからも上場させた企業の「不良品」騒動が続出している。

孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part2

孫社長は、カリフォルニア大学のバークレー校在学中に、自動翻訳機を開発したり、日本のインベーダーゲームをアメリカに輸出するなどして、億単位の金を稼ぎ出した。帰国して日本ソフトバンク(当時)を設立。「この会社を豆腐屋のように、売り上げを一兆、二兆と数えられるように・・・」と、二人のアルバイトを前に演説したという。

創業から現在まで、ソフトバンクの本業は、パソコンソフトをメーカーから仕入れて家電量販店などに流す「卸し業」である。一時期は、国内のパソコン用ソフトウェア流通の約六割のシェアを握っていた。その地位は、日本のパソコン業界では先駆的なベンチャー経営者だったアスキーの西和彦氏と文字通りの「死闘」を勝ち抜いて築いたものだ。

『孫正義 起業の若き獅子』(大下英治著)によると、ソフトバンクはパソコン雑誌『アスキー』から広告掲載を拒否され、孫社長は「それなら、うちがみんなに負けない雑誌を出してみせる」と決意して、みずからパソコン雑誌を創刊する。さらに西氏が、家庭用マイコンの統一規格としてMSX構想を提唱すると、孫社長は「西のマイクロソフト社だけが独善的に支配権を握ることは許せない」と反旗を掲げるまでに加熱した。

孫正義 色褪せた錬金術師『文藝春秋』Part1

昨年、大ヒットした冒険ファンタジー映画『ハリー・ポッターと賢者の石』に、〝賢者の石〟の力で不老不死の魂を得たニコラス・フラメルという魔術師が登場する。実は、このフラメルは十四世紀のフランスに実在した錬金術師で、彼がつくった賢者の石を使うと水銀を金に変えることができたという。十五世紀のヨーロッパでは、賢者の石を作ろうと様々な実験をした結果、物質の融解、蒸発の仕組みが解明され、フラメルの名は中世ヨーロッパの化学史を語る上で欠かせない存在になった。

ソフトバンクの孫正義社長は、この伝説の錬金術師とどこか似ている。

それでも西川善文は辞任すべきか

結論を最初に言うと〝適任な次期社長〟がいれば、西川は辞任すべきである。

筆者はかんぽの宿は適正、適法にオリックスに売却される予定だったと考えている。これに意味不明な文句をつけて白紙に戻した鳩山邦夫とメディアの罪は重い。「不透明」という批判の大半は、事業譲渡と不動産売買の違いを学ぼうとしない、単なる「不勉強」に過ぎない。それでも辞任すべきと考えるのは、かんぽの宿問題以前に、そもそも西川は日本郵政のトップに立つ能力や器がない人間だからだ。

これまで西川について何度も記事を書いてきた。

西川善文と金融庁との最終決戦『週刊文春』2004年12月30日号
外資系投資銀行の虚像と実像(後編)『週刊新潮』2005年7月14日号
最強外資 ゴールドマン・サックスの本性『週刊文春』2006年9月21日号

こうした取材を通じた西川に対する評価は、非礼を承知で書けば「小者」である。

「薬膳」FC商法で集団訴訟された山野グループ〝二代目〟『FRIDAY』

朝10時、東京・西新宿の高層ビル玄関に横付けされたベンツのリムジンから、颯爽と降り立ったロマンスグレーの人物(写真上)。「美容界の草分け」といわれ、短大、専門学校、エステテックサロンなどの“山野帝国”を一代で築いた、故・山野愛子女史の三男として、現在、化粧品や健康食品会社など関連数社のトップに君臨する山野彰英氏(57)である。

「こっちが1000万円単位の損失を抱えて汲々としてるのに、向こうは悠々とベンツで出社ですか・・・。私は、この山野社長に会わせてくれるよう何度も頼みましたが、結局、話すら出来なかった。『ヤマノグループ』の名前に、完全に騙されたんですよ」

こう言って怒りを隠さないのは、ヤマノグループの一社で、山野氏が社長である漢方薬局「東京薬膳」のフランチャイズ(FC)に加盟した挙げ句、「大損害を被った」という飯塚英二氏(写真左)。飯塚氏ら加盟5店が、東京薬膳と山野社長に損害賠償請求訴訟を起こしたのは昨年4月。以後この訴訟は、半年余りの間に13店による「集団訴訟」に発展しているのだ。

「かんぽの宿問題」オリックスの目的は何だったのか

かんぽの宿のオリックス一括売却は「問題」か?」の記事を書いた後、多くのメールをもらった。「構造がよく分かった」という意見が大部分だったが、「疑問」も投げかけられた。その中で最も多かったのが、「なぜオリックスは、かんぽの宿を高値で買おうとしたのか」というものだ。率直にいうと答えは分からない。しかし、合理的な推測をするなら「義理を売った」ということだろう。つまり、日本郵政との取引実績を作るのが目的である。かつて富士通などが、役所の管理システムの構築を「1円落札」したのと同じである。

日本郵政というと、傘下にゆうちょ銀行、かんぽ保険会社、郵便事業会社などを抱える「巨大独占企業」と思われがちだが、実態は異なる。郵便事業(手紙や小包などの集荷・配達)は、民間のヤマト運輸、佐川急便などにシェアを奪われ続けている。収益の柱である金融二社も、10年前に総額350兆円になった貯金残高、簡保資産残高は、年々減少して民間の金融機関に流失している。民間と比較して、日本郵政がサービス面で遅れをとっているのは事実であり、放置すればジリ貧になる。

「かんぽの宿問題」は〝子供の喧嘩〟に過ぎなかった

半年以上も燻っていた「かんぽの宿問題」は、鳩山邦夫の総務相更迭、西川善文の減給処分と社長留任で決着した。この決定が政治的に正しいかは分からない。筆者は、かんぽの宿のオリックスへの一括売却についての見解を二月中旬に書いたが(かんぽの宿のオリックス一括売却は「問題」か?)、その後、何らの新事実も提示されず、「疑惑ごっこ」のまま終焉した。過去、地方の温泉リゾートを投資ファンドなどが買収した。買収価格などは公表されていないが、その中には「1円」「100円」などという金額もあった。温泉旅館を壊してオフィスビルを建てるわけにいかない。飽くまでもリゾート施設として追加投資をして、雇用も維持し、再建するとなれば、赤字事業に値段がつかないのは、再生ビジネスでは当り前のことだ。捨て値で手放した銀行は、不良債権を処理してオフバランス化するメリットがある。「安すぎる」という批判は、あまりに的外れである。

新生銀行で進む外国人切りと経営統合計画 『週刊朝日』 Part2

八城による「外国人斬り」は徹底しているようだ。新生行内では、英語が準公用語で会議で英語が使われていたが、これも廃止しようとしている

「以前は会議でも同時通訳がついていましたが、八城さんが『日本語でやろう』『日本の銀行なんだから日本語じゃないと駄目だ』と言い出したのです。実はこれまで、外部の顧客に対応する時も英語で貫き通して、お客さんにイヤホンを付けさせていた。あまりにも失礼だし、通訳の人件費もかかるので廃止しようというです」(新生幹部)

言うまでもないが、社長の八城は、エッソ社長、シティバンク日本代表と外資系企業のトップを歴任しており、英語は自由自在に操ることができる。何があったのだろうか。

「もともと八城さんは、外人とか日本人とかの区別はしない方ですが、シティ時代から『無駄金ばかり使って儲けない外国人』が大嫌いで、公然と批判していました。マーケットが悪化した以上、リストラするのは当然という考えでしょう」(シティ時代の部下)

こうして、権勢を誇っていた外人部隊が疎外されるようになると、長銀出身の日本人行員が八城に擦り寄り始めたという。

新生銀行で進む外国人切りと経営統合計画 『週刊朝日』 Part1

東京・内幸町の新生銀行本店の一室で2月13日、ちょっとした「誕生パーティ」が催されていた。翌14日に80歳の誕生日を迎える八城政基社長の〝傘寿〟を祝うものだった。

「副社長の富井(順三)の音頭とりで、『80年もののワインをプレゼントする』と言って行内でカンパを集めたり、ハシャいでました。富井は曲りなりにも有力な〝次期社長候補〟のプロパーですよ。ポルテが消えた途端、日本人幹部が八城社長に媚を売り始めた姿は、見ていられませんよ」(米系投資銀行出身の新生銀行幹部)

昨年11月、新生銀行は、業績低迷から社長のティエリー・ポルテ(51)が引責辞任し、八城が非常勤会長から社長に返り咲く異例の人事を断行した。今年なってから、行内からこんな声があがっている。

「外資系の投資銀行や投資ファンドから転職してきた『外人部隊』が、切り捨てられようとしてる。陣頭指揮を執っているのは、八城社長本人だ・・・」(新生銀行幹部)

「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』Part4

実は、五味は検査局長時代に、自分の思い通りにならずに「禍根」となった銀行があったと言われている。それは、大和銀行(後のりそな銀行)、足利銀行、そしてUFJ銀行の三行だという。五味が検査局長をしていた時は、柳沢伯夫金融担当大臣-森昭治金融庁長官-高木祥吉監督局長の時代で、かつての「銀行馴れ合い行政」に逆戻りしていた。

「当時の検査で、大和、足利、UFJに引当金が足りないことは明白でした。大口融資先への金融支援でも、平気で債権放棄などの先延ばしを許してしまった。しかも、森金融庁長官自らが旗振りをして大和銀行とあさひ銀行を合併させて、りそな銀行を誕生させる始末。こうした甘い姿勢に、現場を知る五味さんは、忸怩たる思いがあったはずです。その後、りそなや足利が破綻したときには、あまりのショックで持病の痛風の発作が出たという伝説まである。一説には、UFJは過去の検査でも大口融資先絡みの資料を隠していたことがあって、五味さんの逆鱗に触れた事があるのです。五味さんにとっては、『何とかしたい銀行』の筆頭だと思います」(前出・金融担当記者)

その裁量行政の復古も長くは続かなかった。一昨年九月、「公的資金再注入も辞さない」という姿勢の竹中平蔵が金融担当大臣に就任する。五味にとって、厳格な査定という数年来の構想を実現するは願ってもない人物が大臣になった。こうして、UFJに「五味一派」でもっとも査定が厳しい男・目黒謙一が派遣されたというのだ。

「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』Part3

さらに、「UFJ危機」問題を複雑にしているのは、金融庁に「UFJの倉庫に隠蔽資料がある」と伝えた「内部告発者」の存在である。金融庁が、正確な内部情報に基づいて、ピンポイントで資料を「押収」したのは先に触れた通り。つまり、UFJ内部にこそ、この危機騒動の引き金を引いた人物がいることになる。

UFJ銀行は、その前身である旧三和銀行時代から熾烈な派閥争いを繰り返す銀行として知られていた。特に、バブル後の渡辺滉会長と佐伯尚孝頭取の確執は有名で、人事や株主総会の時期になると、決まって相手を攻撃する怪文書が乱れ飛んだ。この両者が揃って退任する相打ち人事の後、今度は、室町鐘緒頭取の下で、望月高世専務と杉山淳二常務とのバトルが激化するというありさまだった。

「UFJ発足の時、、望月、杉山のいずれかがトップに立つべきだった。ところが望月が体調を崩して退任し、派閥抗争の一方を残すわけにいかずに杉山もアプラス(系列の信販会社)の社長に追いやられた。MOFに強い望月と、企画に強い杉山が抱き合い心中で、椅子の方から勝手にやってきて頭取についたのが、今の寺西正司なんです。彼は、MOF担も経験してないし企画にも疎い。現場に判断を任せるしかないが、肝心のMOF担も適任者がいないので、手も足も出ない」(全国紙・金融庁担当デスク)

ある金融関係者は「UFJ銀行は韓国政府のようだ」と表現する。政権が変わるたびに、旧政権の権力者を根絶やしにすることで勢力基盤を築くところが、韓国の政権交代とそっくりだという。しかし、こんなことを繰り返していては、当然のように組織が疲弊する。

「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』Part2

十月二十七日、前代未聞の暗闘を繰り広げた「金融庁vsUFJ」の対決は、検査結果の最終報告をもって終了した。翌日、UFJ銀行は、他行から一ヶ月遅れの九月決算の上方修正を発表して、「秋の陣」は幕を下ろした。しかし金融庁内部には、ここで幕引きをしたくない勢力がいた・・・。

実は、昨年秋の両者の対立について、その詳しい内容は隠されていた。隠すというより、そもそも検査の内容が外部に漏れることなど、あり得ない。ところが、一月二十四日の日経スクープ以降、検査の日程などを記した二枚の「メモ」が出回り始める。

メモによると、十月九日に実地調査部隊が「隠蔽されていた資料」の場所を特定したのは、UFJ内部からの告発が発端だという。さらに、「D社についてのうわさ」などの一文を添えて、ことさらにダイエーの存在を匂わせたり、「検査を免れるため、組織的、意図的に資料の隠匿、改ざん等を行ったことが強く疑われる」「銀行法における検査忌避に該当するか否か」「組織性(特に役員の関与)の有無」と、それらしい文言が盛り込まれている。もっとも、この文書にはUFJがどんな資料を「隠蔽」していたのかは、記されていない。まして、作成者不明の箇条書きでしかなく、冷静に見れば単なる怪文書である。

しかし、メモには、当事者しか知りえない情報が記述されている。UFJが弁護士と会計士の同席を求めたことや、その日付などは事実と一致する。この文書が金融庁周辺から出たメモとすれば、「この問題は終わってない」という、金融当局の意思表示と読み取ることも出来る。

「頭取の首」竹中vs.UFJ攻防戦『文藝春秋』 Part1


一月二十四日未明。UFJ銀行の中村正人常務執行役員は、新聞記者からの一本の電話で叩き起こされた。

電話は、「日本経済新聞」朝刊一面に、『金融庁、UFJ調査へ 貸出先査定 内部資料を精査』というスクープ記事が掲載されると告げるものだった。既にこの段階で記事を止めることも内容を変えることも不可能である。日経記者からの電話は、企画担当役員である中村常務へ、新聞が配達される前の「事前通告」に過ぎないものだった。

二十四日に日経朝刊が出ると、他の新聞各紙も、記事の事実確認に動き出す。UFJ側は、「検査結果は昨年九月決算に反映済みで、過去の話だ」と、必死の火消しに回ったが、同じ日の夕刊には、『UFJ銀行に異例の検査』という見出しが並ぶ事態になった。

一日にして日本列島を駆け巡った「危機報道」によって、UFJ銀行は、週明けの米欧での永久劣後債発行の説明会をキャンセルし、起債そのものも延期に追い込まれる。不良債権処理と将来の税効果会計導入を見越した資本政策もご破算になってしまった。

金融恐慌下で荒稼ぎするモラルなき金融マンの手口と実名『週刊朝日』Part3

川端の「行方不明」が話題になり始めた頃、モルガン・スタンレーが、日本のメガバンクに支援を求めていた。みずほには、モルスタのジョン・マックCEOからみずほコーポレート銀行の齋藤宏頭取に直接依頼があったと言われる。

「齋藤頭取、佐藤康博副頭取、高橋秀行執行役の旧興銀出身者が、モルスタへの出資に前向きだった。しかし、1月のメリルへの1000億円の出資で評価損を出したことに加え、齋藤頭取の『路上キス』が写真誌に出た問題などで旧興銀系の発言力が低下していたこともあって、旧富士銀系役員の反対で、出資が見送られた」(みずほ関係者)

一方、三菱UFJフィナンシャル・グループには、モルガン・スタンレー・ジャパンから「融資枠」が欲しいという申し入れがあった。複数の関係者によると、仲介役は、モルスタ日本法人の結城公平副会長と見られる。

「結城さんは三菱銀行の出身で、GSの持田昌典社長ほどの派手さはないが、多くのディールを手掛けたトップバンカーです。2001年のアイフルのライフ買収では日本初の事業の証券化を成功させた。もっとも、このディールでは100億円以上も儲けて、アイフルの福田佳孝社長を憤慨させたという逸話もあります」(モルスタ元幹部)

金融恐慌下で荒稼ぎするモラルなき金融マンの手口と実名『週刊朝日』Part2

「ある会社の上場審査の際、アーバンとの取引が問題になって、東証の担当者から『アーバンとの取引をゼロにしろ』と言われた。アーバンは東証一部に上場しているのに・・」(大手証券会社の幹部)

さらに銀行は、アーバンの息の根を止めにかかる。

「4月以降は、我々が保有物件を売ろうとすると、相手先企業への融資も出なくなったのです。邦銀は全て拒否なので、外資に頼らざるを得なくなった。ゴールドマン・サックス(GS)、モルガン・スタンレーは門前払いでしたが、メリルリンチは物件を簿価の4分の1程度で買ってくれた」(前出・アーバン関係者)

こうして、日本の金融界から締め出されてボロボロになったアーバンに食いついたのが、フランスの大手金融機関のBNPパリバの川端だった。

BNPが手掛けた新株予約権付転換社債の割当の中には、株価が下がるほど割当側が儲かる「MSCB」と酷似したスキームも含まれる。リーマン・ブラザーズをへて、06年にBNPに転じた川端は、顧客にこんなことを吹聴していたという。

「日本にMSCBを根付かせたのは私です。リーマン時代には、ライブドアのニッポン放送買収時のMSCBも担当した」

金融恐慌下で荒稼ぎするモラルなき金融マンの手口と実名 『週刊朝日』Part1











「エリックが姿を消した・・・」

米系投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻した後、外資系投資銀行のバンカーたちの間で、一人の男の行方が、密かに話題にのぼっていた。

川端エリック憲司--。

この70年代の外人タレントのような名前の男の肩書きは、フランスの大手金融機関・BNPパリバ証券の「東京支店 資本市場ソリューション統括本部長 副支店長」である。外資には珍しい縦書きの名刺が、昨年夏以降、資金繰りが悪化した不動産会社の財務担当者と間で頻繁に交換されていた。

「身長は170センチに満たない小柄な体格で、色白で女性のように肌がプヨプヨしていた。インベストメントバンカーにしては、ガツガツしたところはなかった。日系アメリカ人なので、日本語は頭の中で翻訳してから話すようだった」(都内の不動産会社の財務担当者)

フジの看板・福井謙二アナと佐藤里佳アナが「商工ローン」でアルバイト『FRIDAY』








「本日の司会進行を務めさせていただきます、私、フジテレビの福井謙ニと」
「同じく、佐藤里佳でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」

98年9月12日、新高輪プリンスホテルの大会場「飛天の間」。荘厳なファンファーレとブルーのスポットライトが交錯するなか、壇上からフジテレビの看板アナウサーが挨拶する。 二人が並んで立つ前には、「株式会社商工ファンド」の社名・・・。

写真左は、『プロ野球ニュース』『料理の鉄人』で名を馳せた福井謙二アナ(46)と、フェエリス女学院卒の〝元祖お嬢様アナ〟佐藤里佳アナ(32)が、商工ローン大手『商工ファンド』(本社・東京都中央区、大島健伸社長)の「ファンドマン表彰式」で、揃って司会のアルバイトをした際に撮られたビデオの一場面である。

かんぽの宿のオリックス一括売却は「問題」か?

日本郵政が保有する「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への一括売却が白紙に戻されることになりそうだ。この件については、日本郵政やアドバイザーとなったメリルリンチの判断は正しく、鳩山邦夫総務相と多くのマスメディアの主張が間違っている。どこのメディアも書かせてくれないので、ここに記しておく。

「かんぽの宿」は、旧郵政の簡易保険加入者の福利厚生施設である。しかし、その大部分が赤字経営であるばかりか、旧郵政官僚の天下り先となっていた。こうした無駄を見直すため、郵政民営化関連法に2012年9月末までの売却が明文化されていた。この法律が策定された2005年当時は、都市部を中心に不動産のミニバブルが発生しており、政府は高額での売却を見込んだと思われる。しかし、2007年からの不動産市況の悪化とリーマン・ブラザーズ破綻後の金融機関の融資締め付けによって、世界中のマーケットから投資マネーが逃げ出してしまう。結果として日本郵政は、〝最悪の時期〟に不採算事業の売却を余儀なくされたことになる。売却のタイムリミットは3年足らずである。このままかんぽの宿を保有し続け、市況が好転することを神に祈りながら、年間4~50億円の赤字を垂れ流し続けるか、それとも一気に売却してしまうか。難しい経営判断だが、法律によって売却期限が定められている以上、今より経済環境が悪化する可能性も高いので、速やかに手放すのも一つの決断である。少なくとも日本郵政には、かんぽの宿の経営を立て直す能力はない。

巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part4

そしてみずほが抱える問題は「人材」に止まらず、「不良債権処理」も禍根となっている。

みずほは、にわかに「事業戦略の変革」と題して、「シンジケーションビジネス」「ソリューションビジネス」などといった文言を並べている。しかし、いずれもネットバブル当時に、ベンチャー企業が掲げていたスローガンに似て、具体的にどんな事業で黒字化するのか、どのように金儲けをして「動脈」を支えていくのか「ビジョン」が見えない。

九月中間期のメガバンク四行の実質業務純益を見ると、前年同期比でプラスとなったのは東京三菱だけ。みずほは三千八百七十八億円で、前年同期比でマイナス二八・七パーセントとメガバンク中で最低の水準だ。合併で経費が嵩んだとはいえ、現時点で合併効果は見えてこない。リスクアセットを半期で十三兆円も圧縮したが、早急に利鞘稼ぎに代わる収益の柱を確立しない限り、何度リストラを繰り返しても、不良債権処理コストが利益を食い潰す悪循環を断ち切ることは不可能だろう。

こうした認識は、経営トップだけではなく、四十代以上の幹部行員も同様だ。BKの支店幹部が現場の惨状を語る。

巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part3

統合直後、「みずほ証券」では、「副部長」という肩書きの社員が急に増えだしたという。これについて、みずほ証券のOBが解説する。

「証券は、一年早く合併したんですが、各行は統合でポストからあぶれた幹部クラスを送り込んできたんです。証券分野では、旧興銀証券が引き受け部門で一時トップに出るなど、人数も経験も富士、一勧より勝っていた。それで、富士、一勧は『興銀に牛耳られる』という危機感があったんでしょう。合併直前に人員を増やしたため、ポストが無くなったんです。それで副部長がたくさんいた。その他にも『上席部長』『部付部長』というポストが新設されて、三行で席を分け合うこともありました。しかし、そもそも仕事が出来なくて証券に回された人たちですから、上司といっても役に立たない。それぞれの人に根回しをしなければならないので、下の人間にとってもやりにくいだけでした」

こうした「母行意識」に根ざすポスト争いは、統合発表後のみずほの各部署で当たり前のように見られた。BKの大阪営業部は一部、二部、三部に分かれ、それぞれの部長を旧行で分け合い、部下も母行の営業部隊が直接移行した。海外でも同様で、昨年九月のテロ事件で富士のNY支店が被害にあったため、ミッドタウンの興銀NY支店で業務を集約しようとすると、一勧が猛反発して勝手にニュージャージーに拠点を移すという騒動があったという。取引先のメーカーの財務担当者は、外から見ても内部抗争をしていることが手にとるように分かるという。

巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part2

この前田社長のもとで、グループ全体で三万人にもなる従業員たちは、「カルチャー障害」に悩まされることになる。

「ろくに支店で営業もできない興銀出身者が、なぜか優遇されてる。差別的な措置が三行の融合を阻んでいる」

一勧、富士出身者に話を聞くと、決まってこうした意見が出る。彼らが指摘する「差別的な優遇措置」とは、旧興銀マンだけに支払われている「調整手当」制度のことだ。

四月一日の統合で、持ち株会社のHD傘下に、みずほコーポレート銀行(CB)、みずほ銀行(BK)、みずほ証券、みずほ信託銀行を収めるという作業(組織統合)は形の上では完了した。ところが、行員の基本給は同レベルに統一されたものの、興銀出身者だけは、給与を嵩上げしたのだ。旧富士の行員が言う。

「うちは、すでにボーナスを減額されてたし、四十代でも年収が一千万円に届かない行員もいる。完璧とは言えませんが『能力給』に移行していたのです。ところが、興銀だけは給料が高止まりしていた。五十歳以上で比べると、興銀と富士、一勧の間では数百万円の給与格差があったのです。合併した以上、給与体系も統一するのは当たり前でしょう。ところが、五年間の移行期間を作るという。人事担当者は、『興銀出身者の給料を減らすとマンションのローンが払えなくなる』などと言っていました。融資先にリストラをお願いする立場で、おまけに公的資金まで入ってる銀行の言い分として通りません。ローンが払えなければ引っ越せばいいのです」

巨艦みずほ失敗の本質『文藝春秋』Part1

「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに=『古事記』)
元来、みずみずしい稲穂が豊かに実る国という意味を持ち、日本国の美称であったはずの「みずほ」の三文字は、いつの間にか禍々しいイメージに塗り替えられてしまった。駅のスタンドに並ぶ夕刊紙には、連日、「崩壊」「倒産」「国営化」といった見出しが躍る。みずほフィナンシャルグループの持ち株会社「みずほホールディングス」(HD)の株価が百円割れ(五十円額面換算)し、来年三月期に二千二百億円という桁外れの連結赤字になる以上、みずほが「危機」に直面しているのは紛れもない事実である。
しかし、みずほグループの危機とは、すなわち、「水穂国(日本経済)の危機」であると、いったい、どれほどの日本人が認識しているだろうか。
言うまでもなく、みずほグループは、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の三行を統合した世界最大の金融グループである。一口に「世界最大」といっても、その規模の大きさは、おそらく我々の想像をはるかに凌駕するものだ。興銀、一勧、富士は、GHQによる財閥解体後、旧三大財閥(三井、住友、三菱)以外で、新たに形成された企業グループの中核銀行だった。富士は、旧安田財閥を中心に複数の旧財閥が集まって「芙蓉グループ」を作り、一勧は、旧古河財閥系と融資先企業で「三金会」を組織。興銀は重厚長大産業を中心にグループを形成した。

「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part4

「社長に気に入られないと出世できない」という空気が蔓延する日経社内で、大塚は異質な存在だった。部下を厚遇して自分の味方をつくるような「鶴田流」の生き方とは対照的な記者で、誤解を承知で書けば、変わり者である。

「典型的な一匹狼です。取材相手の都合や下で動く部下の事情には、一切頓着しない。彼の関心は、『報道する価値があるか』という一点です。だから、どんなに親しく付き合っていた取材相手でも、『批判しなければならない』となれば、一転して追及します。上司と意見が合わなければ、面と向かって議論を挑みます。社内では、今回の行動に驚いた人より、『大塚さんなら当然だろう』と受け止めている人の方が多いと思う」(日経新聞デスク)

大塚は、「敢えて自分の会社を告発した」のではなく、「たまたま追及する相手が自分の会社だった」という程度の意識である。

一方の鶴田は、上司、部下、取材先、そして夜遊びの場でも、誰からも愛されようとして、傑出した「組織内浮遊能力」を発揮して社長に登りつめた。彼には、大塚のジャーナリストとしての「当然の行動」は理解不能だ。また「兜町新聞」をクオリティペーパーに育てた鶴田と、すでに大企業の日経に入社した大塚とは、会社に対する「思い入れ」も、決定的に異なるだろう。

「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part3

「もしあの時」

多くの日経OBが、今日の鶴田体制の混乱を招いた遠因として挙げる社長人事が決まったのは、昭和五十六年のことである。『勝負の分かれ目』(下山進著)によると、この年の十二月、圓城寺の後を継いだ大軒順三社長が入院する国立医療センターの個室に、常務の新井明が見舞いに訪れ、次期社長の人事を書き残すよう頼んだという。新井は、自分が指名されると信じていたが、大軒が書いた名前は、専務の森田康雄だった。

大軒の長男で、朝日新聞社員の大軒由敬氏が、当時を振り返る。

「新井さんとは家族ぐるみの付き合いでした。父が入院した後、新聞記者としての興味から、『次の社長は誰になるの?』と母に聞いたら、『どうも森田さんらしい』というので、ちょっと意外に思った記憶があります。父が、なぜ新井さんを指名しなかったのか、その理由は私には分かりません」

もっとも、園城寺の下で電子メディア戦略の中枢を担ってきた森田の社長就任は、順当な人事であった。しかし、新井はそうは考えなかったらしい。当時の日経役員が振り返る。

「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part2

「なぜ鶴さんは、あんな風になってしまったのか。未だに信じられない」

若い頃の鶴田を知る日経OBたちは、週刊誌などで報じられる「独裁者・鶴田」像に揃って首をかしげる。

「彼が最初に配属されたのは、工業部(現在の産業部)でしたが、特ダネを抜いたり、人の裏をかくような取材はできなかった。文章も決してうまくなかったですが、コイコツと取材するタイプでした。水戸っぽらしく、昔のミッチーさん(故・渡辺美智雄氏)のようなしゃべり方で、兄貴分ぶるところもありましたが、誰もライバル視してなかった」(同期入社のOB)

入社当時の鶴田の夢は、多くの新聞記者が望むように、花形部署で働くことだったらしい。鶴田の下で働いたことがある日経幹部は、こういう。

「当時の工業部は、中小企業の取材が主でしたから、彼は経済部に行きたくて仕方がなかったようです。当時はいいコースだったワシントン特派員も希望して、それが出来ないと、ひどく落ち込んだそうです。夢がかなって、経済部に移ると、持ち前の馬力を発揮しました。鶴田さんは『書き魔』で、記事、タイトル、コラムまで全てを埋め尽くすほど出稿して、一面すべてを鶴田さんの記事で牛耳ったという伝説も残っています。スクープを連発する天才型ではありませんが、大蔵省キャップ時代は、朝も夜も厭わずに取材して、一週間に三~四本は一面トップを書いていたそうです」

「奢れる巨像」日本経済新聞の自殺~鶴田卓彦前会長の絶頂と転落(文藝春秋)Part1


昭和二十七年四月。

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約の発効で、GHQによる「占領時代」が終焉したこの月に、早稲田大学政経学部を卒業した、茨城県水戸市出身の一人の青年が、『日本経済新聞社』の門をくぐった。

当時の日経新聞は、仰々しく「日本経済」の名を戴いているが、発行部数は五十万部程度で、この年の新入社員も約二十五名と、中堅新聞社に過ぎなかった。三井物産の子会社だった『中外物価新報』という相場情報紙からのイメージを引きずり、「兜町新聞」「株屋新聞」の渾名で、朝日、毎日などの一般紙の記者から揶揄されていた・・・。

それから半世紀。

「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part4

経財相に就任した直後、柳沢伯夫金融担当大臣(当事)と金融政策を巡って衝突し、自民党執行部と対立した。しかし、青木や柳沢らの「抵抗勢力」を黙らせるために、頻繁に渡米してハバード大統領経済諮問委員会委員長らと会談し、「構造改革について賞賛と期待があった」と、アメリカからのお墨付きで正当性を訴えたところに、「学閥」を持たない学者の戦略の稚拙さがあった。

その姿は、帰国子女が日本の学校の校則に「アメリカではこうだ」と文句をつけているようで、当然「ここは日本だ!」という感情的な反発を招く。政治家を相手にして感情のぶつかり合いになれば、たとえ「喋りのプロ」の竹中でも、論理的な説得は不可能だ。竹中に学閥のバックアップがあれば、網の目のように張り巡らされた「政治家ブレーン」を通じて、柔軟に政策を通すことが出来たはずだ。それを持っていないため、竹中は、「正論」で戦うしか手段を持たなかったのだ。

この頃、竹中は同じ轍を踏みつづけていた。昨年夏、日銀の金融緩和を主張する竹中と日銀首脳が、日銀の接待施設である赤坂の氷川寮で対峙した。竹中が、日銀の金融政策決定会合に出席して苦言を呈し、諮問会議でもお互いの主張は平行線のままだった。仲をとりもつための会食のはずが、竹中は喧嘩腰になり、「「あなたが、そんなことだから駄目なんだ」と捨てゼリフを残して、そのまま席を蹴って帰ってしまった。

「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part3

「教授」になった竹中は、吹っ切れたようにマスコミに登場し始める。平成九年には、「東京財団」(当事は国際研究奨学財団)の理事に就任し、経営企画コンサルティング会社の「サイズリサーチセンター」を設立する。みずから実業界に働きかけ、現実的な政策提言が可能な集団を作り出そうとしたのは、象牙の塔から拒絶され続けた竹中にとって、むしろ当然の選択肢だったろう。

小渕内閣で「経済戦略会議」のメンバーに選ばれたのも、学会からの推挙ではなく、アサヒビールの樋口廣太郎名誉会長の紹介だった。経済戦略会議の座長は樋口氏だったが、実質的なリーダーは、中谷巌・一橋大学教授だった。戦略会議は、国家行政組織法第十八条によって設立されたもので、通常の審議会などとは違い、内閣に具体的な政策提言をすることが出来た。もっとも、メンバーに大企業トップが多かったこともあり、実質的な議論を深めるよりも、「ハリキリボーイの竹中」だけが浮いたような存在だったという。この頃の竹中を知るエコノミストは、こう解説する。

「戦略会議では、竹中さんは大物学者や財界人に囲まれた『ワン・オブ・ゼム』に過ぎませんでした。小渕総理の前で必死に自分の主張をしていましたが、取り上げてもらえなかった。彼は、アメリカの学者仲間が参加しているホワイトハウスの経済諮問委員会をイメージしていたようで、理想と違い過ぎたんでしょう。同じ一橋出身の中谷さんの役に立ちたいという気持ちも強かったようですが、結局、空回りしていました」

「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part2

竹中を大阪大学に来るように声をかけたのは、本間正明・大阪大学院経済学研究科教授である。

「まだ竹中さんは、開発銀行の行員でした。これまでの設備投資に関する研究を大学で博士論文にまとめたらどうかと思ったのです。長富さんの了解は得たし、開銀の人事担当者にも会った上で、阪大に来てもらいました。竹中さんが持った講座は、企業から資金をあおいで運営する寄付講座です。大学でのテーマは自由にやってもらいましたが、学生の評判もよかったです。大阪大学にいた期間は短かったので、退任後の論文で博士号をとったんです」

しかし竹中は、阪大も二年で辞めて、アメリカに渡る。実は、阪大に誘われたといっても、それは事実上の「臨時雇い」のような扱いでしかなかったのだ。竹中が来る前には、先の吉田教授が阪大に二年間在籍していた。学外の研究者を「客分」として採用しただけで、博士号は阪大でとったものの、やはり竹中は、ここを「本籍」にすることは許されなかったのだ。

旧友のエコノミストが、竹中が米国に行った理由を解説する。

「平蔵さんの学者として力量を、誰もが認めたがらなかった。なぜなら彼が所属していた一橋のゼミも、学内ではそれほどの力を持っていなかったし、博士号は阪大で取っている。平蔵さんは、一橋派でも、阪大派でもなければ、官僚でもない。学閥か省庁のバックアップがないと、日本の学会では出世ができないのです。それで、やる気と能力さえあればチャンスを与えてくれるアメリカに希望を託したんだと思います」

「政治家」竹中平蔵 本当の実力 (文藝春秋)Part1


「金融担当大臣に残りたい」

自民党総裁選挙を一週間後に控えたある日、竹中平蔵・経済財政担当相兼金融担当相(52 )は、JR有楽町駅にほど近い生命保険会社のビルの一室でソファに腰をおろし、加藤寛・千葉商科大学学長と向かい合っていた。

反小泉勢力から格好のターゲットとなっていた竹中は、小泉純一郎首相から、「しばらく表に出るな」と厳命されていた。加藤と竹中は、十三年前に慶応大学藤沢キャンパスに新設された総合政策学部にスカウトしてからの付き合いである。この日、竹中が加藤の事務所に来るのは、半年ぶりのことで、秘書官も伴わずたった一人の「お忍び訪問」だった。二人は、郵政民営化などについて一時間にわたって話し合ったが、それ以外は、他愛もない四方山話に終始した。そんな会話の中で、竹中が、「金融担当大臣を続けたい」と心の内を吐露したのだ。

これから問われる「M&A」アドバイザーの価値『Foresight』Part2

それでも、都銀の一行員に過ぎない佐山の手元に、巨額の成功報酬が入るわけではなかった。日本長期信用銀行、日債銀が国有化され、地銀が相次いで経営破綻する中で、佐山は銀行を退社する。四人のメンバーで投資ファンドの「ユニゾン・キャピタル」を設立し、東鳩、マインマート、キリウなどの買収を手掛け、〇四年に「GCA」の代表に就任した。

しかし、かついてディールの金額に応じて支払われていたM&Aのアドバイザーのフィーは、ダンピングが進み〝儲からない商売〟になっていた。ゴールドマン・サックス(GS)やモルガン・スタンレーは、自ら巨大なファンドを組成して企業や不動産への直接投資で巨額のリターンを稼ぎ出す時代に変っていた。なぜ、時代の流れに逆行して、投資ファンドを捨てて、M&Aのアドバイザーになったのか。

「ユニゾンは一号ファンドの投資を終える五年で辞める予定でした。とりあえず次の仕事として個人会社でアドバイザーの会社を作ったところ、思った以上にM&Aのマーケットが成長している。そして、私の目から見ると日本にはM&Aのプロが百人に一人いるかいないかで、『お金』ばかりを言っている。逆にお客さんのためのアドバイザーとなれば成功すると思った。設立当時から、『三年以内に上場を目指します』と明言していました」(佐山)

これから問われる「M&A」アドバイザーの価値『Foresight』Part1


一九八七年九月、大阪市中ノ島の「大阪ロイヤルホテル」(現リーガロイヤルホテル)で、明星工業によるボイラー会社買収の調印式が行なわれた。巨額のM&A(企業の合併・買収)が日常化した今から見れば、わずか五億円のディールにも関わらず、プロのカメラマンを雇い、銀行首脳まで列席して調印式をしたのは、三井銀行(当時、現三井住友銀行)が立ち上げたM&Aチームによる第一号案件だったからだ。

このチームの中に、二カ月前に帝人から転職したばかりの佐山展生がいた。佐山は、京大工学部を卒業後、十一年間、愛媛県松山市の化学工場でポリマーの研究開発に携わっていたが、新聞広告をみて三井銀行の中途採用に応募して入行した。佐山がチームの一員になったのは、「ボイラー技師の資格を持っているなら、何かの役に立つだろう」という上司の単純な発想からだった。

「この時、買収がまとまらなければボイラー会社は倒産して、社員が職を失うところでした。従業員と一緒に、一カ月かけて事業計画や買収価格を策定したのです」(佐山)