外資系投資銀行の虚像と実像『週刊新潮』Part5


平成十三年九月、ゴールドマン・サックス証券(GS)の持田昌典(50)は、港区白金の聖心女子学院に近い一等地に転居した。六百平米の土地に築いた三階建て総床面積八百五十平方㍍の大豪邸は、「土地だけでも約五億円は下らない」と言われる。ガレージには、新車価格千四百万円のイタリアの高級スポーツカー「マセラティ・グランスポーツ」が停まっている。

持田は、父の会社が廃業に追い込まれて家を失ってから、二十年の歳月を費やし、自らの手で「上流階級」の生活を取り戻すことに成功していた。

この時点で、「持田は百億円近い資産を築いた」(GS関係者)と言われている。GSの株式公開で、パートナー(共同経営者)として数十億円の配分を受け取り、NTTドモコ株の新規公開などのメガディール(巨大案件)を手掛け、巨額のボーナスを得ていたはずである。すでに「金儲け」のために働く必要はなかった。実際、GSの元パートナーの多くが会社を後にしていた。そして、「第一勧銀に廃業に追い込まれた」と言われる父親の武雄も他界していた。

もし持田が、このまま退社していれば、彼の名前は「外資系投資銀行の元バンカー」の一人として忘れ去られたかも知れない。しかし、GSの在日代表に就いた持田は、会社を辞めなかった。その理由を、ある外資系投資銀行の幹部は、こう推測する。

「持田さんを社長に押し上げたのは、六年前の銀行合併の際のアドバイザー獲得の功績です。しかし、あの争いは、まったく不毛なゲームで、M&Aの取引額を争う『リーグテーブル』でトップに立つため、採算度外視でアドバイスを引き受けていたのです」(外資系投資銀行幹部)

この争いで、二年連続でリーグテーブルの首位となった持田が率いるGSは、逆にライバルのバンカーから揶揄されていた。

「外資の足元を見て露骨なフィー(手数料)のダンピングをしたのは、みずほです。持田さんは、内心忸怩たる思いが残っているでしょうが、ダンピングを受け入れたのも事実です。口の悪いバンカーは、『GSのリーグテーブルトップは〝偽りの勝利〟だ』とさえ言っているほどです」(外資系投資銀行幹部)

しかも、みずほフィナンシャルグループの中には、持田と「因縁」の深い旧第一勧銀も含まれていた。このまま辞めれば、再び「邦銀に敗北した」ことになりかねない。こうして持田は、GSを「最強外資」に育て上げ、その「独裁者」として君臨し続ける道を選んだ・・・。

   ■    ■

しかし、持田がトップに立つと、「持田支配」を逃れるようにして、GSを去る有力バンカーが相次いだ。KDDIの合併を担当した河野哲也はJPモルガンの社長になり、新卒から二十年近くも在籍してマネージング・ディレクター(MD)にまで上り詰めていた数名の幹部社員もGSを後にした。

中でも、M&A部門のヘッドだった服部暢達(47)の退社は、GSの若手バンカーたちを動揺させた。

「投資銀行は『M&Aの仕掛け人』と言われますが、日本では企業のトップの話し合いで合併が決まるケースがほとんどです。既に決まったディール(合併案件)を、営業活動でアドバイザリーを獲得しているのが投資銀行の実態です。持田さんは、ゴルフや飲食の接待を欠かさず、企業トップと密接な関係を築いてディールを取ってくるタイプです。ところが服部さんは、戦略的なM&Aの提案でディールを取ることを目指していた。若手には、服部さんの姿こそ、理想的なインベストメントバンカーに見えたのです」(GS元社員)

持田と服部の間には、こうした「バンカー哲学」の決定的な違いがあった。持田は、仕事が終わると、親友の横山健次郎が経営する焼き鳥屋に部下を連れて訪れ、酒を飲み交わすことを好んだ。しかし、こうした酒席に服部が顔を出すことは皆無に等しかった。

GSのIBDのトップ同士が、微妙な緊張関係を保つ中で生じたのが、「NTTドコモ海外投資の巨額損失」だった。

ドコモは、平成十一年以降、海外の通信会社六社に約三兆円を投資したものの、わずか数年で二兆円もの減損処理を余儀なくされた。この投資のうち、米国のAT&Tワイヤレスと台湾のKGテレコムのアドバイザーとなったのがGSだった。

「長年、ドコモを担当していたのが服部さんでした。ところがここ数年は、持田さん自らがドコモの立川(敬二)社長=当時=に直接電話をかけてトップセールスをしていた。ドコモは、AT&Tワイヤレスに出資したものの、わずか十六%の株数だっため取締役会での拒否権を行使できなかった。結局、全米二位のシンギュラー・ワイヤレスにAT&Tワイヤレスを横取りされてしまった」(GS元社員)

GSのファイナンシャル・アドハイスは適切だったのか。NTTドコモの中村維夫社長はこう語る。

「投資はドコモの取締役会の決議をへて実行されたもので、失敗の責任は我々にある。今はGSとの間で具体的に進めてる案件は無いです。(持田社長のバンカーとしての評価は)ノーコメントですね」

服部は、退社までの数年間、月曜日の朝八時半から行われる定例の「全体会議」に姿を見せなかった。全体会議には、GSのIBD全員が出席し、各案件の進捗状況が報告される。そして、他社にディールを獲られると、持田から「何をやってるんだ!」と容赦の無い叱責の声が上がる。全体会議は、「持田イズム」をIBD全体に浸透させる〝ミサ〟であり、軍隊の朝会のようなものだ。

GSは「通信分野」の強さを最大の武器にしていた。服部や河野の退社は、GSの屋台骨を支えた「通信」の時代が終焉し、持田の手によって新たな時代の模索が始まったことを物語っていた・・・。

初出:「ハゲタカ外資の虚像と実像」(後編)『週刊新潮』2005年7月14日号


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