ゴールドマン・サックスの正体『文藝春秋』Part3

しかし、我が世の春を謳歌していたこの時期、GSに少しづつ「変化」の兆しが見え始める。

九八年は、長銀、日債銀が相次いで破綻し、日本は未曾有の金融危機に直面していた。GSは、長銀買収では政府側、日債銀ではソフトバンク側のアドバイザーとなった。この時、契約に盛り込まれた「瑕疵担保条項」(担保価値が目減りした場合、政府がその債権を買い取る)が、GSによる日本政府への背信行為ではないかという批判が出始める。「勝ちすぎ」に対する批判も多い。

「GSの社員が酔っ払って六本木交差点でベンツに嘔吐した。運転手のヤクザが怒って出てくると、女性幹部が財布をだして、『車ごと弁償するから値段を言いなさい』と怒鳴りつけた」
「接待には必ず社員の『美女軍団』が同席する。知的でテレビ局のアナウンサーのような女性にかこまれて、担当者は簡単に落ちてしまう」・・・。

GSから、古き良きパートナーシップ時代の堅実さやチームワークが少しづつ失われ、「金儲け主義」や「自分勝手」な振る舞いが目立ちはじめたという指摘は、GSのOBからも上がっている。

「九四年に、ニューヨークやロンドンでのトレーディングの損失で、巨額の損失を出し、大恐慌以来のレイオフをしたのがきっかけでしょう。何人かのパートナーが損失の責任を逃れるためにリミテッド(有限責任)パートナーになってしまった。その後のパートナーミーティングでは、GSの株を公開して会社を『Biggest』にするか、それともパートナーシップを守って『Best』の会社のままでいるか、延々と議論を続けていたそうです。その結果、グローバルな競争や直接投資のためには資本を充実させなければならないと決断し、九九年に株式公開に踏み切ったのです」

株式公開で揺れる中、日本のGSを支えた男の一人、松本大が退社した。松本は、GSでオンライン証券事業を立ち上げようとしたが、賛成が得られず、自らマネックス証券を設立した。もしGSの株式公開後に退社していれば、パートナーだった松本は十億円もの金を手にしていたはずだ。退社の経緯について、松本にあらためて語ってもらった。

「まず、オンライン証券をやりたいというのが最大の理由です。万一、他に理由があるとしたら、やはり株式公開でお金を貰って辞めたとしたら、二度と金融の世界では仕事はできないと思ったことです。周りの人は『そんなの貰ってから辞めてもいいだろう』と言ってましたが、世の中はそんなに甘くないと僕は思います。パートナーシップから株式公開してお金をもらうというのは、将来パートナーになるであろう人たちの分も受け取ってしまう、ということです。今まで百三十年間、次のパートナーに渡し継がれてきたものを我々が全部現金化しちゃうということなんです。それで本当に金融界で仕事が出来るのか、というのはありました」

ここまで来ると、もはや生き方の問題である。そして、株式公開前からパートナーだった日本人で、まだGSに残っているのは持田一人だ。

しかし、持田が率いるGSの投資銀行業務も、ある意味で岐路に立たされている。日本企業が絡む国際的M&Aのファイナンシャルアドバイザリーのランキング(リーグテーブル)で、GSは、九九、〇〇、〇一の三年連続でトップだったが、昨年四位、今年は十一位(十一月二十七日時点)に低迷している(トムソン・ファィナンシャルの調査)。

黄金期に大量に新卒を採用したため、GSの社員は千五百人に膨れ上がり、昨年はリストラを余儀なくされた。そして、今GSの収益を支えているのは、松本が去った債券部や不良債権ビジネスである。

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持田社長は、紺のスーツに身を包み、四十九歳とは思えない、日焼けした精悍な表情で取材に応じた。持田社長が、メディアのインタビューに答えるのはこれが初めてである。

-持田社長がどのような方なのか、イメージができないのですが。

持田「ラグビー部出身なので、マーケットでは、『持田っていうのは体育会系だ』というイメージが強いわけです。だから非常にミリタリスティックに統制してるみたいに言う人がいるけど、そうじゃない。ただ勝つということについてはこだわりがありますけどね」

-「怖い人」だという評判もある。

持田「これだけ長くやってる過程では、辞めていただいた方もいるし、厳しいことを言わなければならない方もいましたからね。あまり怒鳴ったりはしません。大昔はありましたけど。けっこうシツコかったりするかも知れませんね(笑)。諦めなかったりするから」

-GSは、なぜ日本でここまで強さを発揮できたのか。

持田「グローバルなネットワークからの情報量、質の高いアドバイスに価値を見出す時代になったのだと思います。昔は、アドバイスとか目に見えないものは評価しないし、フィー(手数料)も払わないと言われました。いまや買収案件でも、売却案件でも、ファイナンシングでも、どこに話を聞くかということになると、社長さんなり、財務部長さんなりが思い浮ぶ名前になってきたのでしょう」

-今、邦銀や他の外資系の投資銀行、野村證券などと比べてGSは圧倒的に優っているという自信はあるか。

持田「圧倒的に勝っているという自信はありません。ただ比較優位性はあるとは思います。異常なほど強い時期があって、九七年から〇〇年ぐらいは、圧倒的な優位性があった。ただ競争相手も、GSのやり方を知ってますし、GSにいた人が移ったりしてますしね」

-瑕疵担保問題で批判されたが。

持田「我々は政府が何らかのプット(リスク分担)を受けないと、この案件はまとまりませんとは言っていた。日本の法律の枠組みでどうやるかという、ぎりぎりの議論のなかで瑕疵担保という発想が出てきたのですが、我々の発想ではなかった。我々は、日本のファイナンシャル・システムを救うんだという気概でやったが、その後、システミック・リスクがなくなった状況で、あれが悪かったこれが悪かったというのが多い。ずっと黙ってますけど、忸怩たるものがあります」

-三井住友銀行の増資でも、GSの得る金利が高すぎると言われた。

持田「四・五パーセントが高いとか、GSのストラクチャーがどうだとかって、皆さん言うわけですが、日本の銀行の将来性を評価して真水のところに千五百億円入れるところが他にどこどこがあったのかと、私は個人的には思います。事後的な検証も必要ですが、残念に思うのは、そのときの状況を踏まえないので、何でも変な話になっちゃうわけですよ」

-GSの利益と、日本の国益とが相反することがあるのか。

持田「そういうことを仰る方がいるんですけれどもね。最終的には全然反しないと思います。たとえばゴルフ場でも、大半の人はGSが経営に関与してコース状況も良くなって、サービスも向上した言うわけです。ところが、一部の方は、気に入らないという。我々は法律も犯さないし、マーケットのメカニズムも守りながらビジネスをしているのですから、そういう意味からは国益に反するとは思いません」

-日本の銀行や証券会社やが、GSに対抗することは出来るか。

持田「可能性はあります。しかしグローバルネットワークの構築には時間がかかると思います」

-ここ二年、リーグテーブルの順位が落ちている。

持田「正直に言うと遺憾に思ってますよ。三年連続一位だった頃に戻すよう努力をしてます。こそれぞれの案件を分析すると、財務リストラみたいな案件が増えています。これは銀行系が強い。ただし、一つの物差しで競争しているわけですから、それには勝たないといけない。我々は勝つ潜在的な能力は十分に持っていると思ってます」

-すでに、一生遊べるほどの資産を持ち、なぜ働き続けるのか。社長の最終的なは目標は何なのか。

持田「仕事以外のことはよく考えたことがない。ビジョンが無いんです。『辞めろ』と言われた時に考えようかなと思ってます。今のところは辞めろとは言われてないので分かりません。会社が必要とする限りは働き続けるといのうが正直な心境ですよ。若い頃から、長く働く事が幸せだと思っていて、お金が入ればビーチで寝て遊んで暮らすということが幸せだと思う人がいても、私はそうは思ってない。七十歳でも八十歳でも、必要とされるのが幸せです。私の意見を聞いてくれるのが、バンカーとしての喜びなんです。

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株式公開後のGSは、古き良きパートナーシップ時代とは違い、金儲けのために手段を選ばない会社になったと批判されることも少なくない。しかし、法律に反しない限り「あらゆる手段を講じて金儲けをする」普通の企業という見方もできる。一方、延々と不良債権の処理を先送りにし、自らはリスクを負わず、御用作家や提灯ジャーナリストに金融行政の批判や外資悪者論ばかりを展開させる日本のメガバンクが、赤字を垂れ流し続けるのは自明である。

持田は、六本木ヒルズ四六階の十八畳ほどの社長室に陣取っている。しかし、窓から見える富士山に目をを向けることはほとんどないだろう。そこは社長室とは名ばかりのガラス張りのブースで、同じフロアには灰かの投資銀行チームが同居している。持田は、〝社長業〟にはおさまらず、「勝ち」を目指して今でも現場の陣頭指揮を執っている。

日本の金融機関は、外資に不当に侵食されているのではない。その無能ゆえに、当たり前のように敗北を喫しているだけなのだ。

初出:『文藝春秋』2004年1月号 (文中敬称略)


追記:

記事を執筆した2003年末当時、、多くのメディアは「外資の陰謀」「ハゲタカが日本の富を奪った」という論調で、外資系投資銀行や投資ファンドを批判していた。ことに、竹中平蔵氏が金融担当大臣に就任し、メガバンクの不良債権処理を断行したことから、「日本を外資に売り払う陰謀」といった中傷も多かった。実態を調べもせずに「外資陰謀論」を展開する論調に嫌気がさし、こうした批判は「敗北」を認められない「負け犬の論理」だと思っていた。そこで、圧倒的な強さを誇っていたGSの日本人バンカーを取り上げたいと考えた。特に、一般には名前を知られていなかったが、金融界で様々な「悪評」が絶えなかった持田昌典という人物を取材したかった。インタビューは六本木ヒルズのGSの会議室で一時間ほどと、後に電話取材を行った。

持田の名前は、「切れ者」「豪腕営業マン」「嫌な奴」などと伝えられていたが、「精悍な顔つきに似合わない甲高い声で、言葉を選ばずに話すお喋りな社長」という印象だった。同時に取材した山崎養世、槇原純、松本大は、こちらの質問の意図を一瞬で理解して十倍にして答えるような頭の切れがあった。彼らと比べると、持田は、語彙が豊富なわけでもなく、誤解を承知で書けば、言葉や態度からは知性が感じられなかった。山崎、槇原、松本が外資系投資銀行で成功した理由はよく分かる。しかし、どちらかというと「根性」「胆力」といった古臭い言葉が似合う持田が、なぜ投資銀行の世界で勝ち残れたのか、この時点ではまったく理解できなかった。

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