外資系投資銀行の虚像と実像『週刊新潮』 Part2

持田がGSへ転職した八十年代、日本のマーケットでの外資系投資銀行は、取るに足らない存在だった。

唯一、頭角を現しつつあったのは、山一證券からソロモン・ブラザーズ・アジア証券に転じていたトレーダーの明神茂(55)だけで、M&Aや引き受けなど、いわゆる投資銀行部門(IBD)は赤字を垂れ流す「お荷物部署」だった。また、外資系金融機関で、実力バンカーと呼ぶに相応しい日本人は、平成四年にシティバンクの在日代表に就任する八城政基の登場まで待たねばならず、当時は、米国からの「天下り外人」によってトップの座を牛耳られていた。

この頃、GSの投資銀行部門の主な仕事は、米国の不動産や企業を日本の投資家に売るため、金融機関や生保などに頭を下げて営業活動するというものだった。営業を担当していたのが、GSの東京支店を数名で支え続けた川島健資(51)=現メリルリンチ日本証券副社長と江原伸好(53)=ユニゾン・キャピタル社長の二人。持田は、コーポレートファイナンス、日本の証券会社で言うところの「引き受け」が仕事だった。

実は、当時のGSは火種を抱えていた。

「東京のGSに『日本人の顔が必要だ』と、ニューヨークが判断して、川島、江原のいずれかをパートナー(共同経営者)にしようと動き出したのです。結果的に、日本の金融機関に顔が売れていた江原さんがパートナーになるのですが、〝年次〟では川島さんが古かった。もっとも、次回は川島さんがパートナーに就任すると思われていました」(当時を知るGS関係者)

こうした微妙なパワーバランスを内在するGSに、一人の若者が出現して、「抗争」が、さらに複雑化する。ソロモン・ブラザーズで明神と働いていた二十六歳の松本大は、GSに移籍するや、デリバティブなどを駆使した債券のトレーディングで、巨額の収益を稼ぎ始めたのだ。

「強烈な〝異文化〟の流入に恐れたのは、IBDでした。これまで十年以上かけてIBDが稼いだ収益を、債券部が数年で超えてしまう勢いだった。次第に、債券部の採用人数や発言力が増していき、IBDは肩身が狭くなっていった」(前出・GS関係者)

M&Aのアドバイザリーなどでフィー(手数料)を稼ぐIBDと、自らマーケットに金を注ぎ込んでアービトラージ(利鞘稼ぎ)で儲ける債券部とは、まったく思想が異なるビジネスである。こうした「対立」は、どこの投資銀行でも共通して生じていた。

   ■    ■

そんな時、GSの債券部の社員十数人が、ニューヨークから来日していた債券部のヘッドで、パートナー(共同経営者)のジョン・コーザイン(現ニュージャージー州上院議員)が宿泊するホテルオークラの部屋に押しかけ、直談判するというクーデター紛いの「事件」が発生した。

「債券部が、収益の大部分を稼いでいるのに、評価がIBDより低い」
「持田が、債券部との共同事業を自分の功績のようにニューヨークに報告しているのではないか」

なぜ、持田は「疑惑」の目で見られたのか。これについて、GSのIBD出身者はこう解説する。

「持田さんが担当していたコーポレートファイナンスでは、ニューヨークとの間での情報交換やドキュメントのやりとりが不可欠だった。そのため、ニューヨークが朝になる深夜まで会社に残って電話やファックスをしなければならない。それで誤解されたのではないか・・・」

しかし、債券部の危惧は、平成四年に驚くべき形で的中する。パートナー就任が確実視されていた川島が外され、持田が入社九年目で二人目の日本人パートナーとなったのだ。持田は、伊勢丹と提携して「バーニーズニューヨーク」を招致するなど、実績をあげていた。しかし、日本国内での信用構築に十五年以上も取り組んできた川島を差し置いたパートナー就任には、IBDからも「不審」の声が挙がった。

「社内の騒然とした空気を感じ取ったIBDのヘッドのロバート・カプランが、順番にIBDの社員を回って、〝今回のパートナーシップ選考について意見のある人はちゃんと聞きたい〟と言って、一人づつ個別に話をしたほど、気を使わざるを得ない事態でした。持田さんがパートナーになり、川島さんがなれなかったことは、それほど微妙な問題だったのです」(同)

日本でのGS立ち上げの最大の功労者である川島は、その後、パートナーに選ばれることなく、メリルリンチ証券へ転職した。

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パートナーになった持田は、白金台の家賃約八十万円の高級マンションに引っ越した。広さは五十坪ほどで、ダイニング、リビングがあり、ハーフサイズのバスケットコートや、卓球台やビリヤードなどの施設があった。父が築いた松涛の豪邸には及ばないが、バブル崩壊で疲弊する都銀の銀行員が羨む住居を手に入れたことになる。

しかし、持田がようやくパートナーに相応しい仕事を手掛けるのは、六年後の平成十年、二兆千二百五十五億円という史上最高額のNTTドコモの新規公開である。この時、日本の金融界は、北海道拓殖銀行、山一證券の破綻、野村證券の総会屋事件、日本長期信用銀行の破綻など、未曾有の危機に直面していた。

持田が率いるGSが、日本の危機に尻目に儲けていた時、一人の邦銀バンカーが危機を脱しようと奔走していた。第一勧業銀行の企画部副部長、後藤高志である。いわゆる一勧の「四人組」の一人として、総会屋事件で副頭取や元会長が相次いで逮捕される中、若手改革派の一人として、経営陣の総退陣などを主張した男である。

昨年十月、六本木ヒルズ四六階に陣取る持田は、部下に「西武の堤(義明・コクド前会長)に渡りをつけろ!」と指令を出した。有価証券報告書の虚偽記載で揺れる西武鉄道に目をつけたのは、「相手の危機に乗じて儲ける」という持田の常套手段だろう。しかし、銀行管理下に入った西武鉄道のトップに座ったのは、みずほコーポレート銀行副頭取の後藤だった。

「後藤社長と持田社長との〝溝〟は、総会屋事件の時に、持田の手法を目の当たりにしたことだけではありません。後藤社長は、東大ラグビー部出身で、一勧ラグビー部では先輩・後輩の間柄です。〝裏切り者〟の持田社長と、ビジネスをするとは考えられません」(前出・メガバンク幹部)

持田は、一勧ラグビー部のOB会には一度も顔を出したことがない。いまだ両者の間には、「一勧を裏切った男」「父の会社と自宅を奪った銀行」という、まったく異なった〝事実〟が平行して存在し続けている。

しかし、外資系投資銀行を舞台にして、旧態依然とした会社組織に反旗を翻した男たちが、「死闘」を繰り広げてきた例は、これに止まらない・・・。

(文中敬称略)

初出:「ハゲタカ外資の虚像と実像(前編)」『週刊新潮』2005年6月30日号


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