西川善文と金融庁との最終決戦『週刊文春』Part2

平成十三年四月、住友銀行はさくら銀行と合併し、「三井住友銀行」に生まれ変わり、西川が頭取に就任した。当初、「住友がさくらを救済した」とも言われたが、合併直後に、旧さくらの行員を中心に、「住友には巨額の不良債権が隠されていた」という驚きの声が上がり始める。だが、その実態はなかなか顕在化しなかった。

「合併後の平成十四年初頭の金融庁の検査も非常に甘かったのを覚えています。担保不動産の価値を『路線価+営業キャッシュフロー』で計算するような水増し査定が当然のように許されていた。それで、『融三案件』の多くが開示不良債権にならなかったようだ」(三井住友幹部)

もっとも、問題が表面化しなかった最大の理由は、「融三案件」の詳細を知る行員が、ごく少数の住銀出身者だけに限られていたからだ。「融三案件」を「西川子飼い」でガードする一方、処理の手法に疑問を持つ首脳たちは、次々と退社に追い込まれた。故堀田庄三住銀会長の長男・堀田健介元副頭取(現モルガン・スタンレー・ ジャパン・リミテッド会長)、児玉龍三常務米州本部長(現中外製薬専務)らは、西川頭取によって放逐させられたと言われている。

ところが、磐石の体制で「融三案件」の処理を進めてきた西川の前に、一昨年九月に竹中平蔵が金融担当大臣に就任して、状況が一変する。「メガバンクの破綻、公的資金再注入も辞さない」という姿勢で挑む竹中は、「金融再生プログラム」に基づいて、平成十六年度中(平成十七年三月末)に開示不良債権を半減するべく動き出す。同時に、金融庁の検査も一層厳しくなった。

三井住友行内で作成されたとされる内部資料によると、この時点の「融三案件」の与信残高は二兆二千億円を超える。今、厳しい検査をされれば、銀行法に基づいて、公的資金の強制注入や経営陣の退陣を迫られる危険がある。

西川は、「竹中へのロビー活動」を始めた。

「メディアの前では金融行政の批判をしながら、多い時には週に何度も竹中さんと会合を重ねていたようです。二人は意外なほど意気投合しました。これが功を奏したのか、SMBCへの検査は四メガの中では比較的緩く、みずほやUFJのように厳しい査定をする目黒検査官は投入されなかった」(全国紙・金融庁担当記者)

さらに西川は、不良債権の「魔女」と手を切るために、米系投資銀行のゴールドマン・サックスによる資本増強という「劇薬」に手を出した。ところが、この資本増強の過程で、行内にさまざまな不協和音を生じさせてしまう。

「GSと取り交わした条件が、あまりにも不合理だった。増資の配当率が四・五%で、手数料も八十六億円と高額。GSがコミットした引受先もほとんどがヘッジファンドばかりで、長期保有の安定株主ではなく、株式の売却、下落の懸念がある。しかも、この間にJPモルガン・チェースが示した三千億円の増資スキームのほうが条件が良かった。西川さんが一方的にGS案を押し通したんです」(三井住友関係者)

JPモルガンの増資案件は、旧さくら側のチームが策定したと言われる。ところが、GSスキームには、旧住友側からも疑問の声が挙がっていた。側近の奥正之副頭取は、赤坂のアークヒルズクラブで、GS案について意見をしたところ、西川と怒鳴りあいの大喧嘩になったという。

「経営会議の席では、少しでもGS案に異を唱えると、『俺が全部やってるんだ。いいから俺が決めるんだ!』と、西川さんは、三十分以上も一人で大声でまくし立てたのです」(三井住友関係者)

結局、西川の思惑通りにGS案の増資が実行された。この間、JPモルガン案については役員会に諮られることもなければ、GSへのダンピング交渉の材料に使われることもなく、放置されたという。

昨年六月、奥副頭取は、経営企画部の担当から外され、前企画部長の石田浩二常務はSMFG常務に転籍、さらに数名の企画担当行員が異動させられるなど、度重なる「粛清人事」が断行された。こうして、周りをイエスマンばかりで固めた西川は、次第に「裸の王様」と化していく。

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孤独な独裁者となった西川は、今年になってからも拠点長会議、執行役員連絡会などで、「収益を上げろ」「貸し金を伸ばせ」などと檄を飛ばしている。こうした幹部行員を前にした発言の中では、「来年三月の辞任」も匂わせている。

「明確に『辞任』を口にしてませんが、『今年一年で(不良債権を)綺麗する。それで最後だ・・』というニュアンスの発言です。大多数の行員が、不良債権処理を終わらせて、西川さんが退くという意思表示だと受け止めています」(三井住友幹部行員)

この言葉通り、来年三月にむけて、「融三案件」のほとんどが売却、清算などで最終処理を終えている。もっとも、不良債権の処理コストも膨大で、九月の中間期決算で四千五百五十八億円。本業でいくら稼いでも、不良債権の処理で収益が消えている状態だ。現場では「不良債権処理のための益出し」に向けて大号令が出ている。

「まず株式の持ち合い解消。これは大企業、中小企業を問わず、株式の売却、買取の指令が出ています。また、収益の上げられない行員が次々と配置転換されるため、支店の法人営業担当者の平均赴任年数が一年未満に落ち込んでいます」(三井住友幹部)

こうした一時的な収益主義への歪みも、その元凶は「融三案件」にある。果たして、金融庁の検査のメスはどこまで及ぶのか。

実は、三井住友行内では、「金融庁の検査のターゲットは融三案件ではなく、別のところにもあるのではないか」という見方が有力になっている。

「融三案件は、この二年間で大半の最終処理が済みました。わざわざ過去に遡って指導をするだろうか。そんなことをすれば、逆に、過去の金融庁の『甘い査定』も問題化する」(三井住友幹部)

そのため、行内では「融三案件」とならんで西川が独断的に行った「GSの増資案件に代表されるガバナンス(企業統治)の問題ではないか」(同前)といわれている。

九月末に日比谷本店四階に入った検査官たちの会議室には、なぜか三階の審査部から書類のダンボールが運び込まれる姿が目撃されていない。逆に、審査部の資料は、いまだに大手町に運ばれているという。実は、金融庁から三井住友の投資銀行統括部に、一通の指令が出ていた。

その内容は、「GSとの会合、日時、場所、出席者、会話の内容について全ての記録を提出しろ」というものだった。この指令は、投資銀行統括部から各部店長宛に伝えられ、三井住友内でGSと交渉をした全ての行員の記録が金融庁の手中に入った。

一方、GSに対しても十一月四日から、若杉治幸統括検査官を筆頭に約四十人の陣営で検査が入っている。彼らのターゲットも増資案件で、三井住友の増資に関わった「プロジェクトサマータイム」チーム全員の書類、メールなどの記録が徹底的に洗われている。

彼らが問題視しているのは、三井住友のガバナンス(企業統治)、つまり西川のワンマン体質である。昨年四月、すでにGSの増資案件を巡って、三井住友に対して「経営会議、取締役会が充分に機能していたとは言えない」という厳しい指摘があった。このワンマン体質が改まっていないと判断されれば、金融庁から業務改善命令が出ても不思議ではない。

昨年は、何とか金融庁から業務改善命令をすり抜けたが、二年連続となれば当局の判断が厳しくなるのは当然だ。この一年間、西川は役員会や経営会議を軽視して独断専行したことがなかっただろうか。

「例えばUFJへの統合表明は、役員会に諮る前に、突然マスコミに喋って、翌朝、副頭取ですら新聞のクリッピングを必死に読んで、西川さんの真意を探ろうとしていた。事前に連絡があったのは岡田会長(=明重)ぐらいだったらしい」(三井住友幹部)

こうした答えが行内から聞こえる一方、西川はGSの社員については「彼らは金融のプロだ。本物だ」と手ばなしで賞賛している。

「GSが武富士の買収交渉をしていた際、GSに勝手に三井住友の名前を使われた。GSに『西川は何でも言う事を聞く』と思われているのではないか」(前同)

特に、GSの日本法人の持田昌典社長との密接な関係は、多くの行員が疑問に感じている。

「副頭取ですら近寄りたがらない西川頭取の部屋に、持田社長は平気でズカズカと入り込んでくる。二人だけで重要な決定が下されているかと思うと、二人の関係は一体どうなっているのかと危惧を感じる・・・」(三井住友幹部行員)

金融庁の検査が本格化するにつれて、行内の西川に対する批判の声は日増しに高まっている・・。

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金融庁の厳しい検査の結果、西川の進退問題に発展することがあるのか。西川本人に真意を質そうとしたが、「無い、無い」と険しい表情で否定するだけだった。

西川のバンカーとしての人生は、不良債権の処理に明け暮れていた。彼が公言している通りなら、来年三月末で三井住友から不良債権の「魔女」は、跡形もなく消えることになる。しかし、三井住友の不良債権処理費用は、合併以降の三年間だけで総額四兆二千億円にも達している。銀行の収益は、不良債権処理コストに食い潰され、株主、預金者、顧客、従業員は、甚大な損害を蒙ったことは言うまでもない。そしてGSとの増資案件では、三井住友の行員たちは屈辱感に苛まれている。西川は、我々の見えないところで不良債権を増大させながら、平然と「峠は越えた」「処理の目処はたった」と公言してきた。

西川が「融三案件」を生み出した戦犯でないことは明らかである。また、三井住友を守るために体を張り、最も必死で働いたのが西川であることも、全ての行員が知っている。金融庁の検査結果は、来年一月にも明確になるだろう。しかし、結論がどうなろうと、西川は頭取を退任し、会長にも取締役にも就かず、銀行を去るべきではないか。

不良債権処理を生涯の仕事とした男だからこそ、不良債権が消えて新しく生まれ変わった銀行を若い経営者に委ね、敢えて全ての責任、批判を一身に受けて、銀行を後にする・・・。それが「最後のバンカー」とまで呼ばれた男のもっとも相応しい花道だろう。
(敬称略)

初出:『週刊文春』2004年12月30日/2005年1月6日号


追記:
2004年末にこの記事が出た後、ベンチャー企業の経営者たちが「西川を励ます会」を催した。しかし、金融庁の厳しい検査などの心労も重なり、西川はかなり憔悴した様子だったという。そして金融庁の検査は、翌2005年3月11日まで続き、債権区分(正常債権か、要管理先か)を巡る約200日に及ぶ攻防に負けた三井住友は赤字に転落する。西川は、事実上の引責辞任に近い形で三井住友を去ることになる。GSへの増資で業務改善命令が出たわけでもないことを考えると、西川は潔く身を引いたことになる。後に、西川にGSとの増資の件を尋ねると、よほどこの記事が腹に据えかねたのか、「あれだけ調べて、何も出なかったじゃねえか。キレイなもんだ!」と怒鳴られたことがある。しかし、この増資が銀行トップの経営判断として正しかったかどうかは、未だに疑問を抱いている。三井住友の〝親会社〟となったGSが、融資先である三洋電機の優先株を破格の条件で引き受けるのは、西川退任の半年後だ。この「不平等増資」は、禍根となって三井住友の融資先へも影を落としているのではないか・・・。

西川善文と金融庁との最終決戦『週刊文春』Part1

※この記事には「不良債権と寝た男」なるセンスのカケラもないサブタイトルがついていたが、あまりに下品なので削った。