西川善文と金融庁との最終決戦『週刊文春』Part1


「不良債権」・・。
バブル経済の崩壊から十五年。景気が回復の兆しを見せるたびに、不良債権という名の「魔女」が地中から手招きし、日本経済を不況の泥沼へ引きずり落とし続けてきた。不良債権の魔の手は、有力企業を次々に崩壊させ、高度経済成長の立役者だった経営者までも牢獄に送り込んだ。日本経済を不況から救い出すには、「魔女」の息の根を止めなければならないのは、誰の目にも明らかだった。

この不良債権という「魔女」と、半生をかけて格闘し続けた男いる。

西川善文、六十六歳。

三井住友銀行頭取、そして全国銀行協会会長であり、テレビ番組でも鋭い眼光と厳しい口調で、時に金融行政を一刀両断にしてきた。その姿には、自信に満ち溢れた豪腕バンカーの風格が漂い、彼の存在は「西川プレミアム」となり三井住友の株価を引き上げる牽引役となっていた。

しかし、強面の風貌の裏で、西川は不良債権の処理に奔走してきた。そして、来年四月のペイオフ完全実施を目前に控えた今、西川による「魔女退治」の手法が、三井住友へ大きな代償となって、襲い掛かろうとしている・・。

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八月三十日、金融庁が三井住友銀行の通年検査に着手した。大手町にある三井住友銀行十階の「検査会場」に陣取った金融庁の検査官たちは、およそ一ヶ月間を費やして銀行の資産査定を終えた。

昨年秋の検査でUFJ銀行と激闘を演じた末、副頭取以下三名の幹部を検査妨害罪で逮捕に追い込んだ目黒謙一統括検査官が、現場の担当から離れて内勤になっていたので、長引くことはないと思われていた。ところが、資産査定が終わっても、金融庁の検査官は三井住友を去らなかった。それどころか「戦線」を拡大し始めたのだ。

「九月下旬に、行員に一斉にメールが届きました。その内容は、『営業審査第一部から三部の案件の説明を、より近い場所で行うため、本店四階に検査会場を設置します。エレベーター内での私語を慎むようにお願いします』という内容です。検査官が日比谷の本店にまで乗り込んでくるのは、極めて異例なことです」(三井住友幹部行員)

通常、金融庁の検査は、銀行内の特定の場所に「検査会場」を設置して、検査官の要求に応じて、融資や審査などの銀行内部の書類を会場に集めて行われる。検査官が、理由もなく銀行内を勝手に歩き回ることなどはない。

日比谷の三井住友本店に移った検査官は、四階の国際部門の一角の会議室三部屋を占有した。九月末に始まった「本店特設会場」での検査は、二ヵ月以上が経った今も続いており、三井住友の中枢に無言の圧力を与え続けている。異例の「本店検査」は、いったい何を意味するのか。三井住友の幹部が言う。

「金融庁が検査に入った戦略金融統括部の融資一部、二部、三部は、それぞれ三井住友が抱える問題債権の処理をしています。第一部はカネボウやダイエーなど、第二部は熊谷組などのゼネコンを担当していますが、第三部が特別な存在で、旧住友銀行の融資第三部が処理していた不良債権を引き継いだのです」

金融庁は、三井住友の不良債権の実態解明に乗り出したことになる。そして、注目されるのは、審査第三部が受け継いだ「融資第三部(融三)案件」の存在だ。

「融資第三部の不良債権は、住友時代から数名の担当者しか内情を知らない『パンドラの函』でした。不良債権の内訳は、安宅産業、平和相互銀行、イトマン絡みの不動産融資が焦げ付いたものばかりです。そして、この処理を長年にわたって指揮してきたのが、西川頭取本人なんです」(旧住友出身の幹部行員)

頭取自らが処理を担当した不良債権ゆえに、「融三案件」は、「西川案件」とも言われる。しかし、イトマン事件の発覚は平成三年である。平相の合併は昭和六十一年。安宅産業の経営破綻にいたっては、三十年前の昭和五十年だ。すでに歴史上の出来事になるべき案件が、なぜ、いまだに不良債権として燻り続けているのか。

この謎を解く鍵は、融三案件の処理の指揮官だった西川の経歴にある。

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大阪大学法学部をトップクラスで卒業した西川の運命は、住友銀行に入行した段階で、すでに決していたのかもしれない。

入社時に面接をしたのは、後に頭取となる磯田一郎。入社十五年目の昭和五十年、副頭取になった磯田から指名され、安宅産業の処理チームに入る。翌年には、新設された「融資第三部」の次長に就任。昭和五五年には部長となり、不良債権処理のプロフェッショナルとして歩み始める。

一般に「不良債権処理」というと、地味な汚れ仕事と思われがちだが、銀行の商売が「金貸し」である以上、不良債権の発生は避けられない。不良債権の発生をゼロにするには、「金を貸さない」ことでしか対処できない。不良債権の発生は銀行の宿命であり、適確な処理が出来なければ、銀行経営の屋台骨を揺るがす事態となる。西川は、「融三」でその能力を開花させる。

「西川さんは、空室に優良テナントをつけて付加価値をつけてビルを売却したり、企業の不採算部門の売却、統合などでも独自のアイディアが豊富で、決断も早かった。債権者を整理するためにヤクザ絡みの人間との交渉も厭わない有能なディスポーザー(ゴミ処理機)だったのです」(元住友銀行幹部)

ところが西川は、昭和六十年から不良債権処理の現場を離れる。再び融資第三部の担当専務として戻ってきたのは、平成三年だった。つまり、平相を合併し、イトマン事件が発覚する、バブル発生から崩壊までの間、不良債権処理から遠ざかっていたことなる。

六年ぶりに戻った融三にいまだに「安宅案件」が残っていたことに、最も驚愕したのは、西川本人かも知れない。そして、バブル期に不良債権処理を経験していないというタイムラグが、かつて有能な「ディスポーザー」だった西川の判断に、致命的な狂いを生じさせる結果となる。

「高度経済成長時代の不良債権といっても、与信残高もたかが知れていたし、不動産の価格は右肩上がりだった。極端な話、放っておいても賃貸物件はキャッシュフローを生むし、地価は上昇したんです。『早晩、不動産価格は反騰する』・・六年ぶりに戻ってきた西川さんはそう思い込んで、融三案件に追い貸しして延命させた」(前出・元住友銀行幹部)

西川が融三部長だった頃の不良債権は、彼が一喝すれば静かになるイタズラっ子程度の存在だったろう。しかし、平成三年以降の不況の中で、それは手に負えない魔女に変質していた。そこから逃げようと、もがけばもがくほど、魔女の手足は西川の体全体に奥深く入り込んでいく。

ところが、不良債権が膨張するのを尻目に、なぜか西川だけは、副頭取、頭取と当たり前のように出世していく。そして、仕事の遅い部下を平気で罵倒し、机の上の物を投げつける西川の子供じみた性格も災いし、「融三案件は頭取直轄だから話題にするな」という張り詰めた空気で満たされるようになった。

「新橋支店には、平相案件の裏帳簿が入った空かずのロッカーがある」「融三に触れると、射殺された名古屋支店長の二の舞だ」・・・。噂は一人歩きを始め、「融三」は、頭取自身が住友銀行の暗部を封印した場所と信じられるようになった。

初出:『週刊文春』2004年12月30日/2005年1月6日号

西川善文と金融庁との最終決戦『週刊文春』Part2