月刊『現代』休刊

月刊「現代」など休刊=講談社

講談社の月刊『現代』が、今年12月に休刊することが決まった。『現代』では、二十代の頃に何度かデータマン(取材記者)として仕事をさせてもらい、その後、署名記事も書かせてもらった。休刊の理由は読者の高齢化と部数低迷である。A5版(A4用紙の半分の大きさ)の総合月刊誌がマーケットから受け入れられなくなったことは、雑誌メディアに携わる人間であれば15年以上前から共通認識だった。『文藝春秋』『新潮45』『中央公論』『世界』『正論』などが代表的だが、トップの『文藝春秋』も最盛期から大きく部数を落としている。この中で、新機軸を打ち出したのが『新潮45』と『現代』の二誌だった。リニューアルは『新潮45』のほうが早く、保守系オピニオン誌の枠にとらわれず殺人事件や未解決事件のストーリー・ノンフィクションを掲載して部数を伸ばした。『現代』は、長く〝月刊版「週刊現代」〟のような構成だったが、前編集長時代からノンフィクションに注力していた。『現代』の編集部は、『週刊現代』や『フライデー』で育った編集者で占められている。彼らが培ったノウハウや人脈を活かすために、政治、経済、社会事件などの硬派なノンフィクションを売り物にすると考えるのは、至極真っ当な編集方針の転換である。

こうした努力の成果で、ここ数年の『現代』の記事は、非常に質が高かった。フリーのジャーナリストの仲間内でも「文藝春秋より現代で書きたい」というライターも増えていた。それだけに休刊は残念であり、多くの先達が築いた歴史を守れなかったことに、ライターの端くれとして申し訳ないと思っている。少なくとも『現代』の編集部は、やるべき努力を怠ったわけではなく、厳しい環境下で質の高い記事を作り続けた末の休刊である。朝日新聞の『論座』(今年九月に休刊)のように「歴史的役割を果たした」などと意味不明の言い訳をせず、部数低迷を明言した。また、ここで休刊するという講談社の経営判断も、客観的に見て全く正しい。しかし、「月刊『現代』の記事のクォリティは高い」という評価は、雑誌メディアで仕事をしている人間だけの評価に止まり、部数という形では読者から評価されなかった事実については、検証と反省が必要だろう。