新生銀行会長 八城政基は勝ったのか Part3 『文藝春秋』

話を冒頭に戻す。ファーストクラスでリップルウッドのティモシー・コリンズと出会った八城は、「リップルウッドのパートナーになって下さい」という頼みを、「サンキュー・バット・ノーサンキュー」と言って断った。コリンズは諦めず、翌日の食事に誘う。二人は、ホテル・オークラの和食レストラン『山里』で会食した。八城は投資ファンドというビジネスは面白いと感じたが、今さら働く気にはなれず、今度は手紙を書いて正式に辞退した。ところがコリンズは、「三菱商事の槇原稔会長が会いたいと言ってます。会って下さい」と言ってきた。

「槇原さんが会いたいというのを断るのは失礼ですからね。会って色々とお話ししたんです。すると、『八城さん、お願いしますよ。これは難しい仕事だけど、なかなか人がいないから、八城さんだったらできるからやってくださいよ』とまで言われたんです。それで、引き受けることにしたわけです」

八城は、シティバンクから中村彰利(現・産業再生機構常務)と奥村友紀子の二人の部下を引き連れて、リップルウッドのチェアマンとなった。二人は、リップルウッドのマネージング・ディレクターに就任し、宮崎県のリゾート施設、シーガイヤの買収、再建に当たることになる。もっとも、この時点では長銀の買収は決まっていなかった。八城は日本企業の再建ファンドのパートナーに就任することは決まったが、コリンズから、元ゴールドマン・サックスのパートナー、クリス・フラワーズと組んで、「銀行の買収を進めている」と打ち明けられる。

「僕は、その場で『インベストメントバンカー(投資銀行家)は好きじゃない。だいたい彼らは傲慢だからね』と、ハッキリ言ったんだ。そしたら『今、連れてくる』と、隣の部屋にいたフラワーズが入ってきた。話してみるとフラワーズは非常に頭のいい男だが、人付き合いは上手そうじゃない。一方のコリンズはチャーミングで、断わられても、怒りもしない。実はその背後には十分な計算があるんだと思う。また、フラワーズは銀行に関する知識が豊富だ。コリンズは事業会社には詳しいけど、銀行経営そのものには経験はない。この二人は、いいコンビだと思ったね」(八城)

こうして、槇原を足がかかりにして日本の財界に人脈を築きつつあった新人プレーヤーのコリンズと、ウォールストリートの中枢で活躍してきたフラワーズとの連携プレーにより、八城は、「ニュー・LTCB・パートナーズ」の手に落ちた長銀の社長に就任することになった。しかし、就任一ヶ月後、早くも八城は「返り血」を浴びる事になる。そごうの再建計画案に対して首を横に振ったからだ。

「四月に、担当者から『そごうが債権放棄をしてくれと言ってきました』というたので、詳しい話しを聞いたら、約一千億円近くを補強しろと。債権放棄に応じたら、どうしても引当金を積まなくちゃいけない。断わりなさいと言った。そのときは、まさか批判を受けるとは思いませんでした」(八城)

これに対して、他の銀行、民主党、そしてメディアが一斉に「八城叩き」に回った。そして、売買契約書にある「瑕疵担保条項」をたてにして、新生銀行は融資先の再建支援よりも国に損失補填させることを選択していると言われ、八城は国会に参考人招致され、「瑕疵担保条項の撤回」を迫られた。その後、ライフ、第一ホテル、マイカル、日本ビューホテル、ファースト・クレジットといった大型倒産の裏では、新生銀行が引き金を引いたと言われた。

しかし、こうした批判はあまりにも的外れで論理矛盾に満ちている。

そもそも長銀は、要注意先、破綻懸念先といった不良債権ごと売却された。金融再生委員会は、長銀の融資先を「適債権」「不適債権」へと振り分けたが、すでに破綻寸前の第三セクターなども「適資産」に含まれていた。しかし、リップルウッド側は資産内容を精査することが出来ないため、二次ロスを補填するためのリスク分担は不可欠だった。リップルウッド側は「ロスシェアリング」によって、お互いが応分の負担をするように提案した。ところが政府側は、金融再生法に規定がないため、あえて不利になる「瑕疵担保」によるロス補填を主張したのだ。さらに、投資ファンドが海外で設立されたため、株式の売却益に対する課税が出来ないことにも頭が回らなかった。明らかに、金融再生委員会の愚かさが招いた不始末である。

八城は、就任一年目と二年目は、全身を返り血で真っ赤に染めているように見えた。「新生バッシング」が吹き荒れたこの時期、金融行政は、柳沢伯夫金融担当大臣、森昭治金融庁長官の二人によって、「護送船団」時代に逆戻りしていた。足利銀行、大和銀行、UFJ銀行などに対して極めて甘い金融検査をする一方、秩序を乱し続ける新生銀行に対して、あらゆる攻撃を仕掛けた。

平成十三年八月十日、森長官が八城に「借り換えに応じない新生銀行を国会議員が批判している」と「圧力」をかけた事実が、米「ウォールストリート・ジャーナル」に報道された。

「森さんの名誉のためにも言いますと、『こういう批判があって、この会社に対して酷いことをしてる。だから貸しなさい』とは言わなかった。『こういう批判があります』と。で、次に、『さてそれはそれとして日本の銀行のように相手がだめでも資金供給を続けるべきではないか』と、話しは切り離されていました」(八城)

十月四日、金融庁は新生銀行に「中小企業向け融資が目標額に達してない」として業務改善命令を出し、またしても八城は国会に招致される。新生は、約四百社に対して、短期融資の回収や金利引き上げを通告しており、八城は株価低迷の格好のターゲットなった。

平成十三年十月、竹中平蔵が金融担当大臣に就任した途端、金融庁の方針が一転する。金融再生プログラムに基づいて、不良債権の半減目標を設定され、メガバンクはこれまで抱えてきた不良債権の処理に乗り出す。三井住友銀行はゴールドマン・サックスとの「不平等増資」を丸呑みせざるをえなくなった。UFJ銀行は資料を隠蔽し、銀行法違反で幹部が相次いで立件された。

一方、八城の経営姿勢は、二転三転する金融庁の検査方針に振り回されることなく、首尾一貫していた。

「日本では短期融資も長期融資と言われている。すると長期の金は返さなくていいとなる。銀行が百円で貸しても、いつの間にか五十円に価値が下がってる場合があるんです。不動産に変わったり、バブルでいろん投資をしてしまう。その返済には二、三カ月じゃ勝負はつかない。どっかでケジメをつけなきゃならない。問題はやり方次第です。一回でやると怒るけど、二回、三回と頼みに行く。僕がやってきたこと、ものの考え方は、油屋の時代からずっと一緒です」

新生銀行が瑕疵担保条項の期限までに国に買い取らせた債権は、三百二十一件、総額八千五百三十億円にのぼった。八城は、この数字だけの真剣を振るい、そして返り血を浴びた事になる。

昨年二月、新生銀行は八城の公約通り、買収から四年で東京証券取引所一部に再上場を果たした。

(初出:『文藝春秋』2005年4月号)

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