金融庁のドン・五味廣文「異例の続投」の読み方 Part1 『Foresight』



「市場を監督するためにやれることはやっている。分かってくれるのは家族だけだ」

今年一月、東京地検特捜部が証券取引法違反でライブドアを摘発すると、「法の抜け穴を把握せず監督責任を果たしていなかった」と、金融庁が批判の矢面に立たされた。この時、金融庁長官の五味廣文は、親しい記者との懇談(酒宴)の席で、いつものように日本酒を飲んで酔うと、冒頭のように呟き、溢れる涙をグッと手で拭い去ったという。

「UFJ銀行を葬った男」「行政処分を乱発する暴君」・・・。金融機関の幹部たちは「五味」の名前を口にする時、決まって仇敵を嫌悪するように表現する。その反面、五味を知る多くの新聞記者からは、「本音で話してくれる人間臭い官僚」と慕われている。

金融行政を牛耳る〝天皇〟とまで言われた五味は七月に退任すると思われていた。退任後は、「(出身地の)神奈川県知事選に出たい」と、五味本人が二年前から公言していたように、来年四月の統一地方選挙で政治家に転進すると、誰もが信じていた。

ところが、五味は三年目も長官として続投することになった。「重要な法改正など継続事案が残されていた」「年次が若く、他省庁とのバランスを考慮した」というのが、表向きの理由である。しかし、五味本人が固辞すれば、二年の任期をまっとうして綺麗に退任できたはずだ。大手銀行の不良債権処理を終わらせ、ペイオフ解禁に踏み切り、金融庁という組織をゼロから築き上げた五味に、やり残した仕事があるのか。政治家転進の夢を先延ばしし、金融行政のトップとして君臨し続ける道を選んだ五味は、「長官三年目」に何を狙っているのか。

五味の官僚人生を振り返り、異例の続投の背景を探る。

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敗戦から四年がたった昭和二十四年、五味は山梨県で生まれた。GHQの占領統治が終わり、朝鮮特需をへて、経済復興を遂げようとする中で幼年期を送る。五味が、中流以上の家庭の子息が集まる「栄光学園」(神奈川県鎌倉市)に入学する頃は、すでに日本は高度経済成長期に突入していた。

当時の栄光学園を知る卒業生の一人がこう語る。

「戦後に創立したイヱズス会系の中高一貫教育の男子校でしたが、今ほどの東大進学率を誇る学校ではなく、入学試験も簡単だったと思います。一学年は約百八十人。月一回、キリスト教の倫理を教える授業がありましたが、洗礼を受ける必要はなかった。校舎の窓ガラスが割れていたところもあって、体育の授業では、最初に校庭の草むしりして整地しなければならなかった」

栄光学園時代、五味はバレー部の主将として活躍した。同窓には、木村幸俊(前国税庁長官)や水田邦雄(厚生労働省保険局長)、一学年後輩には望月晴文(資源エネルギー庁長官)、佐藤隆文(金融庁監督局長)と、奇しくも後に霞が関の中枢を担う俊英が学んでいた。

高校を卒業して、東京大学法学部にストレートで進学する。もっとも、五味が入学した年は「70年安保闘争」の真っ只中で、六月以降は授業が中止になり、大学では三年間しか勉強しなかったことになる。卒業後、五味が大蔵官僚という道を選んだことに、青春期にカトリックの厳しい教育を受け、大学で安田講堂事件を目の当たりにしたことが影響していたのだろうか。

五味は、キャリア官僚としては平凡な出世コースを辿った。館山税務署長、主計局給与課課長補佐、熊本県企画開発部長、主計局共済課長、銀行局特別金融課長などを歴任。結婚も三十歳台後半で、「取り立てて切れ者という印象は無かった。親分肌で後輩の面倒見はいいが、酒好きで民間との付き合いでも脇が甘かった」(大蔵OB)という。

五味の官僚人生が流転し始めるのは、平成九年に「金融監督庁設立準備室主幹」として、銀行局調査課長を最後に大蔵省の外に出てからだ。総理府の外局の金監庁に籍を移した五味に、未曾有の金融危機が襲い掛かる。北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで経営破綻。そして、金監庁の検査部長となった五味は、長銀、日債銀を「債務超過」と認定し、国有化による再生を後押しする。もっとも、国有化銀行は巨額の税金を投入して不良債権の一部を分離し、外資系投資ファンドなどに売り払われただけで、挙句、越智通雄が「検査に手心」発言で金融再生委員長の地位を追われる始末だった。

過剰接待事件でキャリア官僚が逮捕され、自殺者まで出した大蔵省は、政治主導の金融再生の中で主体的な役割を担えず、無力に政治判断に従わざるを得なかった。

「俺は金監庁の一期生だ」

大蔵省が財務省と金融庁に分離され、金融庁の検査局長に就任した五味は、大蔵省に戻りたがる同僚を尻目に、〝金融庁の官僚〟としてのプライドを公言し始める。平凡な大蔵官僚は、日本の金融界が危機に陥る中で、「金融庁のエース」と言われる立場になっていた。

しかし、検査局長の五味でも、思い通りに厳格な銀行検査をすることは許されなかった。当時の金融担当大臣は柳沢伯夫、金融庁長官は森昭治で、ともに金融再生委員会の委員長、事務局長として大手行に公的資金を注入してきた。「不良債権の処理は終わった」と明言した手前、再注入するわけにはいかない。「柳沢-森」時代は、五味が活躍する舞台は与えられなかった。

金融庁が動きを封じられる中、日経平均は一万円の大台を割り、銀行の財務状態は、再び危険水準を突破しようとしていた。政治的な圧力に屈して、五味が甘い資産査定を余儀なくされた銀行に、足利銀行、あさひ銀行(後のりそな銀行)、UFJ銀行が含まれていたという。


初出:Foresignt 2006年9月号

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